新型コロナウイルスの感染拡大を受け、中止が決定した出雲全日本大学選抜駅伝(10月11日)は、多くの名ランナーが駆け抜けた。

昨年9月15日のマラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)で2位に入り、東京オリンピック(五輪)の代表に決まっている服部勇馬(26=トヨタ自動車)は東洋大時代に3度出場。2年時には5区で当時の区間新記録を樹立した。3年時の14年大会では、台風の影響による中止の悲哀も味わった。

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1年 3区(7・9キロ)区間2位(23分36秒) チームは2位

2年 5区(6・4キロ) 当時の区間新(17分54秒) チームは2位

3年 台風により中止

4年 2区(5・8キロ)区間3位(16分3秒) チームは4位

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当時、2つ上の先輩にはエース設楽啓太(28=日立物流)、後にマラソン日本記録を樹立する設楽悠太(28=ホンダ)の双子らが在籍していた。

下級生時はレベルの高い先輩の背中を見て、切磋琢磨(せっさたくま)していた。上級生になると、「鉄紺のエース」の自覚を植え付けられ、世界を意識するようになった。自らの課題を分析する力に優れ、東京五輪のマラソン代表まで成長した。