令和の大波乱が起こった。出場4回目の創価大が、5時間28分8秒で初の往路優勝を果たした。

4区の嶋津雄大(3年)が後続と1分42秒差をつけるトップに立ち、流れを呼び込んだ。昨春から休学し、9月に復帰したばかり。失明の可能性もある網膜色素変性症を抱えるランナーが、榎木和貴監督(46)も「予想してなかった」という初出場から6年目の歓喜の立役者になった。創価大は2位の東洋大に2分14秒の大差をつけ、3日の復路に臨む。

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何もかもが異例だった2020年を象徴するかのような、サプライズが起きた。初出場から6年で、今回が4回目、最高順位は総合9位。大学3大駅伝は、出雲も全日本も出場したことすらない。その創価大が、いつもと違う閑散とする芦ノ湖に最初にやってきた。史上19校目の往路優勝を遂げた榎木監督は「往路優勝は予想してなかった。本当に頼もしい」。選手をたたえながら、目を丸くした。

流れを手繰り寄せたのは4区の嶋津だった。優勝候補・東海大を34秒差で追う2番手で走りだす。差は広がるかと思われた前評判を裏切っていく。5・6キロ。背中を捉え、すぐに前に出て追い抜いた。あとは1人旅。最後はつりそうになる左足を、拳でたたきながら、気力で進んだ。タスキを渡し、コースに一礼すると、左足が伸びたまま倒れ込んだ。その苦悶(くもん)が終わると、「1位でタスキを渡せたのがうれしい。自分の役目を果たせた」と笑顔だった。

スポットライトを浴びる快走の裏で、失明の可能性もある網膜色素変性症とも闘う。強い紫外線は視力を妨げるため、レースでキャップは手放せない。検査では「前より少し進行しているかな」と言う。まだ根本的な治療が見つかっていない病と向き合う青年がヒーローになった。

ただ、心が不安定な時期もあった。前回も10区で区間新を出し、小説家を志していることでも注目された。急な環境の変化もあり、昨春後から休学した。復帰したのは9月。「0からのスタートだった」。1人で合宿を積んだ当初は10キロも走れない。「1キロ5分が全力疾走。1キロ8分でも心拍数が170~180」と言うほど体力は落ちた。そこから月800キロ走り込み、持ち直した。休学期間は外から客観視することで、走る喜びも再確認した。以前は難しかった、仲間の成長を素直に喜べる精神的な余裕も生まれた。

ダークホースが作った2位東洋大との差は、2分14秒。嶋津だけでなく、走った全員が区間6位以上。その6位は2区の留学生フィリップ・ムルワ(2年)だったことが、チーム力を物語る。指揮官は「先頭を走る喜びを楽しみながら、残り5区間の選手が走ってくれれば」。平成以降、2分以上の復路の逆転Vは2校のみ。先頭は第1中継車を風よけにもできる。昨年9位に続く大会のスローガン「もう一花咲か創価(そうか)!」。浴びる脚光を力とし、大輪の花を咲かせる。【上田悠太】

◆創価大 宗教法人創価学会の会長だった池田大作氏によって1971年(昭46)に創設。当初は文系のみの大学だったが、91年に工学部、13年に看護学部、14年に国際教養学部が設置されるなど、文理8学部10学科の総合大学となった。本部は東京都八王子市。主な卒業生にプロ野球小川泰弘(ヤクルト)、小谷野栄一(オリックスコーチ)、元国土交通大臣の北側一雄氏ら。

◆嶋津雄大(しまづ・ゆうだい)2000年(平12)3月28日、東京都町田市生まれ。中学入学後に陸上長距離を始め、都立若葉総合高時代に都駅伝1区で2年連続区間賞。青梅マラソン優勝。自己ベストは5000メートル14分3秒65、1万メートル29分1秒84。趣味は音楽、アニメ鑑賞。文学部人間学科3年。170センチ、55キロ。

◆網膜色素変性症 目の奥にある網膜という薄い膜に異常が起こり、光を感知しづらくなる。ほとんどが遺伝による発病で、数千人に1人の割合とされる。進行性で、多くは暗い場所が見えにくくなることにはじまり、視野狭窄(きょうさく)、視力低下などに進行し、失明の場合もある。まだ根本的な治療は見つかっていない。