歴史に残る大逆転劇だった。往路3位だった駒大が、10時間56分4秒で13年ぶり7度目の総合優勝を果たした。最終10区で創価大を3分19秒も追い掛ける展開。絶望的な状況を、石川拓慎(3年)が残り約2キロではね返した。アンカーで3分以上の差を覆した優勝は1932年(昭7)の慶大以来89年ぶり。大波乱となった往路に続き、復路に大どんでん返しが待っていた。

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その数字は絶望的だった。3分19秒-。13年ぶりの栄光には、駒大は最後の1区間(23・0キロ)だけで、その差を覆さないといけなかった。1933年(昭8)以降、10区で2分18秒以上の逆転Vはない。現代の駅伝では無理だと、長すぎる年月が物語っていた。それを覆す奇跡が起きた。

前を行く創価大・小野寺は視界にも入らない。鶴見中継所から、石川は区間賞を目指して走りだした。すると新興校に立ちはだかる箱根の魔物か、小野寺が大失速した。その背中は、みるみる大きくなる。差は5・9キロで2分45秒、13・3キロで1分57秒、16・5キロで1分17秒、18・1キロで47秒。予想外にターゲットの姿が近づくと力が湧き出た。

「男だろ!」

20キロ。運営管理車から大八木監督が叫んだ。復路で初めて発した闘将の喝に、さらなるギアが入る。「よっしゃ」(石川)。飛ばしていてキツかった体が軽くなった。

その瞬間は20・9キロだった。小野寺を捉えると、表情、息遣いを確認した。限界は近い。一瞬で分かった。待つことなく、一気に突き放す。大八木監督は「やったよ! おまえ男だ」と声を張り上げた。信じられない逆転劇を成し遂げた石川は「やってやったぜ!」。両拳を握り、ゴールに飛び込んだ。1時間9分12秒の区間賞。「みんなの思いがつなぎ、任された役割を果たせてよかった」。復路は2分21秒差の3位スタートで、9区を終えて差は広がる劣勢。それを1人で覆し不可能を可能にした。コロナ禍で胴上げなき優勝を感じさせない、劇的なクライマックスだった。

3年生は「谷間の世代」と言われてきた。1つ下にエース田沢がいて、1年生は粒ぞろい。大八木監督から「3年生は全然だめ」「お前たちの学年は目標を持っているのか」「一番レベルが低い」などとハッパをかけられ続けていた。見返そうと必死で努力していたのが石川、6区区間賞の花崎ら3年生だった。大八木監督は「今回は3年生に助けられた」。その言葉に感情がこもった。

「平成の常勝軍団」は、残り1・2キロで首位に立った全日本に次ぐ2冠となった。今回の経験者は9人。大八木監督は来季へ向け「強さが戻ってきた。3大駅伝を取りに行きたい」。接戦を勝てる。しかも劇的に。「逆転の駒大」の看板は輝きを増した。再び大学駅伝の主役に君臨していく。【上田悠太】