あっという間の60分だった。東京国際大のヴィンセント・イエゴン(4年)が4区(20・9キロ、平塚~小田原)で8人抜きの爆走を見せ、2つの新記録を打ち立てた。

1時間ジャストで走り切り、従来の区間記録を30秒も更新。さらに1年時の3区、2年時の2区に加え、往路のみの3区間で区間新を樹立したのは、史上初となった。ケニアから来日して4年。仲間の思いを背負って、チームをシード圏内の往路7位に導いた。

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異次元の走りは健在だった。トップの中大から2分44秒差の12番手でタスキを受けると、猛スピードで駆けだした。3・4キロ地点までに6人を抜くと、10キロ過ぎで4位国学院大をとらえた。同区間タイ記録となる8人のごぼう抜き。レース後には、日本語でほほえみながら言った。「勇気持って走った」。4年の日々を思い返しながら、仲間への感謝を走りで示した。

入学当初。ケニアからやって来た留学生は、言葉が通じず、文化の違いに悩まされた。シャイな性格も相まって、部員との間には溝ができた。それを感じ取ったのは、チームメートも一緒。同学年の宮崎和樹マネジャーは、1年時を懐かしく回想する。「身長が190センチ近くあって、ラッパーみたいな服装もしていて。怖かったんです」。なかなか近寄ることができなかった。

その関係性を動かしたのは、やはり同級生だった。黙々と走り続けるヴィンセントを労うため、丹所健や宮崎マネジャーがグータッチを差し出し始めた。好タイムを残せば、またグータッチ。拳を突き合わせるごとに、表情が柔らかくなっていった。

仲間の支えもあって、箱根駅伝では1年時に3区で、2年時には2区で区間新記録を樹立した。しかし、今季は右ふくらはぎを負傷。出雲、全日本の欠場を余儀なくされた。「たくさんの大会に出られず、けがも多くて。最後に一番つらい思いをしました」。そうした中でも虚無感にさいなまれなかったのは、チームメートが“エース”の復活を辛抱強く待ってくれたからだった。

大学生活最後の箱根路に、ヴィンセントは戻ってきた。拳をぎゅっと握りしめ、力強く腕を振った。「ありがとうございます。いい思い出になった」。上達した日本語に、4年間の思いを込めて-。グータッチを重ね合わせた日々に、感謝はあふれた。【藤塚大輔】

◆複数の区間新 ヴィンセントは往路のみの3区間で区間新は史上初の快挙だった。往路、復路を問わず、区間新を3回記録した選手は05~07年度の佐藤悠基(東海大)、90~93年度の武井隆次(早大)、54~56年度の佐藤光信(中大)、26~29年度の権泰夏(明大)、22~24年度の八島健三(明大)がいる。同一区間での3回の区間新は08、09、11年度の5区の柏原竜二(東洋大)ら計4人が達成している。4度区間新を出した選手はいない。