駒澤大(駒大)が2年ぶり8度目の総合優勝を果たした。大八木弘明監督(64)は優勝会見の最後に「監督を退きます。3月で終わりです。藤田と交代します」と勇退することを明かした。教え子でマラソンの元日本記録保持者・藤田敦史コーチが後任となる。

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大八木監督が復活を託されてコーチに就任した95年4月に藤田敦史氏は駒大に入学した。まもなく貧血であること分かったが、寮で提供される大八木氏の京子夫人がつくる食事で改善したという。その後、96年の箱根で1年ながら1区に起用され、チームは総合12位も、藤田氏は区間2位と見事に期待に応えた。

大八木氏は「エースに育てる」と藤田氏に明言。2、3年時はエース区間の2区を走らせた。区間2位だった3年時はチームも総合2位に浮上。そこから駒大は上位校の常連に。藤田氏が卒業した翌00年には総合優勝。藤田氏の存在が大八木氏に指導者としての自信を植え付けたとも言える。

藤田氏も大八木氏の厳しい指導で日本を代表するランナーへと急成長。99年のびわ湖毎日マラソンで2時間10分7秒の2位で瀬古利彦の日本学生記録を更新。富士通入社後の99年世界選手権でマラソン6位入賞。00年の福岡国際では2時間6分51秒の日本最高記録(当時)で初優勝した。

13年の引退後は富士通のコーチを経て、15年4月に駒大のヘッドコーチに就任。「きちょうめんで真面目で話し上手。自分のやりたいようにやってほしい」と、大八木氏も次期監督に絶対の信頼を置いていた。

◆藤田敦史(ふじた・あつし)1976年(昭51)11月6日、福島県生まれ。清陵情報高から95年に駒大進学。箱根駅伝は4年連続出場し3、4年時に総合2位に貢献。99年3月のびわ湖毎日マラソンで初出場で2位。同年に富士通入社。99年世界選手権(セビリア)6位入賞。00年12月の福岡国際でマラソン初優勝。13年の引退後は富士通コーチを経て、15年4月に駒大ヘッドコーチに就任した。