日本歴代3位の2時間5分51秒の記録を持つ山下一貴(26=三菱重工)が、入賞を目前にした40キロすぎに足がけいれんするアクシデントに見舞われ、2時間11分19秒(速報値)で12位となり、日本勢として13年モスクワ大会5位の中本健太郎(安川電機)以来5大会ぶりの入賞を逃した。

前半からアフリカ勢が引っ張る縦長になった30人超の先頭集団に食らい付いた。30キロすぎには約10人の集団の先頭に立つなど、勇気を持って攻めのレースを展開した。

31キロすぎにアフリカ勢が一気にペースを上げると、山下は7位集団で激しい入賞争いに。そこから粘りの走りで1つ1つ順位を上げた。37キロすぎに6位、38キロすぎには前回大会優勝のトラ(エチオピア)も抜いて5位まで浮上。一時は3位まで20秒差に迫ったが、40キロすぎに左足のふくらはぎがけいれんを起こして立ち止まった。その後、再び走り始めたが、今度は右足もけいれんを起こして止まり、後続に抜かれて12位まで順位を下げたが、何とかゴールした。

「申し訳ないです。入賞できたと思ったけど、なかなか難しいですね。左足のふくらはぎがつって、それを気にしながら走っていたら、右足もつって、いろんなところがつった」と山下は無念のレースを笑顔で振り返った。

箱根駅伝8度優勝を誇る名門駒大時代は、エースとして2年から3年連続で花の2区を走った。駒大の大八木弘明総監督も「スタミナが大学時代からずばぬけていた」と振り返る。

21年2月のびわ湖毎日で2時間8分10秒の初マラソン日本記録をマーク。22年2月の大阪マラソンで自己記録を2時間7分42秒に更新すると、今年3月の東京マラソンで2時間5分51秒の日本歴代3位の記録で日本人トップの7位。走るたびに大幅に自己記録を更新してきた成長株だった。

アクシデントで入賞は逃したが、40キロすぎまでは、05年ヘルシンキ大会で銅メダルを獲得した尾方剛以来18年ぶりの表彰台も期待させる力走を見せた。世界の背中は見えた。「また帰ってきたい。次はメダルを目指したい」と山下。同じ欧州で開催される来年のパリ・オリンピック(五輪)で雪辱を果たす決意だ。

其田健也(30=JR東日本)は2時間16分40秒で35位。西山和弥(24=トヨタ自動車)は2時間17分41秒で42位だった。