02年ソルトレークシティー五輪当時、優勝を狙うトップ選手はこぞって4回転に挑戦していた。4回転草創期の裏にはリスクも潜んでいた。世界で初めて4回転サルコーに成功し「4回転キング」と呼ばれた同五輪男子銅メダルのティモシー・ゲーブル氏(37)をはじめ、多くの選手が満身創痍(そうい)の中で戦っていた。

 ゲーブル氏 プルシェンコ、本田武史ら我々の世代は間違いなく練習のしすぎでした。毎日の練習で継続的に4回転ジャンプを跳び続けていたので、それが頻繁にけがする結果につながってしまった。

 ゲーブル氏は右臀部(でんぶ)、背中、首などを痛め、棄権することもしばしばあった。ソルトレークシティー五輪金のヤグディンは右臀部(でんぶ)や腰、同五輪銀のプルシェンコは右足首、腰、同4位の本田は右足首、股関節痛と、4回転時代をけん引した選手は常にどこか故障を抱えていた。

 現在、4回転アクセル以外5種類が実施されているが、当時はトーループとサルコーの2種類しか成功例はなかった。だが、多くの選手が他の4回転を練習で取り入れていた。ゲーブル氏も当時、16年に羽生結弦が史上初めて成功した4回転ループを練習していた。

 ゲーブル氏 4回転に特別こだわりがあったわけではなく、練習もきつかった。でも、私自身“アスリート”としてありたかった。多くの人に「すごい」と言われ、その期待に応えたかった。だから、自分の限界を超えた技に挑み続けたのです。

 04年から現行の採点方式が採用されると、4回転の波はいったん去った。失敗した際の減点が大きく、ステップなど細かな要素により気を配る必要が出てきたからだ。今、優れたジャンパーが同時に現れたことで「4回転時代」がピークの時を迎えようとしている。

 ゲーブル氏 私はスケーターとして、いい日々を送ったし、やりきった。試合のドキドキ感や挑戦する時の気分の良さが懐かしいです。

 4回転を跳び続けたスケート人生と当時の戦いに後悔はない。【取材・構成=高場泉穂】

(この項おわり)