「サッカーとは頭でするスポーツだ」。かつて何かで読んだ元オランダ代表の名選手ヨハン・クライフの言葉である。W杯カタール大会で優勝したアルゼンチンのFWメッシの妙技を見るたびに思い出した。

7度の「バロンドール」(世界最優秀選手)に輝いた彼の才能は十分に分かっている。それでも「そこを狙うか」と、テレビの前で何度声を上げたことだろう。その自由な発想と高い技術は、分かっていても新鮮な驚きがある。まるで魔法使いのようだった。

小さな抜け穴でもパスを狙い、自らの足さばきで突破もできる。無数に選択肢があるから止めるのは至難。彼がすごいのは単独の力に加えて、周囲を感知するアンテナの力。チェスのように数手先まで読んでパスを出し、最後に自らゴールを決める映像が、瞬時にひらめくのだろう。

現代サッカーは実に窮屈でせわしない。高い位置からのプレッシングでパスコースをさえぎり、フィールドの10人が流動的に走り回ってボールを奪い合い、めまぐるしく攻守が切り替わる。そのスピードと強度は年々増して、スペースと考える余裕を奪われた個の力は苦戦を強いられている。

そんな天才受難の時代、高度に複雑化した戦術を打開したのは、より強力な個の力だった。そして、サッカーには無限の選択肢があり、私たちが考えているよりずっと自由な球技なのだということをメッシは体現してくれた。それこそがサッカーの魅力なのだと思う。

やがて人間の身体能力には限界がくるのかもしれないが、思考や発想に限界はない。考え抜いた戦術を、個の力が突き破り、再び新たな戦術で対抗する。そうやってサッカーは、さらにレベルを高めて、より洗練されたスポーツへと発展を遂げていくのだろう。

1次リーグ初戦でサウジアラビアがアルゼンチンを破り、日本がドイツを撃破した時、世界は狭くなったと感じた。それはある意味では正解だが、グローバル化で選手の多くが欧州でプレーし、質の高い戦術が世界中に浸透した今、頂も高くなっていることをアルゼンチンとフランスは教えてくれた。

日本が2050年までにW杯で優勝という目標を達成するためには、日本人の特性を生かした組織的な戦い方に加えて、“国産のメッシ”を育てなければならない。それは決して遠い夢ではない。意外に早く実現するかもしれない。ボクシング界が井上尚弥を、野球界が大谷翔平をつくりだしたように。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「スポーツ百景」)

トロフィーを掲げるメッシ(ロイター)
トロフィーを掲げるメッシ(ロイター)
トロフィーを掲げるメッシ(ロイター)
トロフィーを掲げるメッシ(ロイター)
フライングでワールドカップトロフィーにキスをするメッシ(ロイター)
フライングでワールドカップトロフィーにキスをするメッシ(ロイター)