1990年(平2)2月、WBC世界ミニマム級王座を奪取した大橋秀行は、平成初の世界王者になった。翌日、新王者は首相官邸に招待され、当時の海部俊樹首相から記念のネクタイピンを贈呈された。プロボクシングの世界王者は、それほど希少価値があった。

その大橋がジムの会長として育てた井上尚弥が、史上2人目の2階級での世界4団体統一王者になった。腰に巻いた世界のベルトは実に10本。1本のベルトで列島が大騒ぎした時代を思い出すと隔世の感がある。

なぜ日本から井上のようなボクサーが生まれるようになったのか。この30年で日本ボクシング界に何が起きたのか。井上が3階級制覇を達成した後、大橋会長にじっくりと聞いたことがある。彼は2つの要因を挙げた。

1つは91年4月にスタートしたWOWOWの「エキサイトマッチ」。ネットも普及していない時代に毎週2時間枠で、世界で年間約120試合開催されていた世界戦のうち100試合以上を放送してきた。「毎週、世界一流の技術を映像で見て、選手がまねするようになった。あの番組で日本選手のレベルが飛躍的に上がった」(大橋会長)。

選手だけでなく、トレーナーも映像を見て学び、指導に取り入れた。昨年1月、同番組30周年記念イベントで井上もこう語った。「家族でご飯を食べるとき、テレビでエキサイトマッチが流れていた記憶がある。(今も)役に立っていると思う」。

もう1つが低年齢からの英才教育。かつては中学卒業後にジムや高校の部活で競技を始める選手が大半だったが、08年に日本プロボクシング協会がU-15(15歳以下)全国大会をスタート。小中学生から全国規模で活躍できる場ができた。井上尚弥、拓真兄弟、3階級制覇王者の田中恒成らはこの大会の優勝者。「技術は始めた年齢に比例する。今や日本選手の技術は世界でもずぬけている。ボディーで倒されていた日本選手が今はボディーで倒すようになった」と大橋会長は分析した。

一方で統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦を2度日本で成功させた帝拳ジムの本田明彦会長が、海外の有力プロモーターらと強力な人脈、信頼関係を築いたことで、交渉が至難だった人気王者らも続々と日本のリングに上がるようになった。最近4試合の井上の対戦相手はすべて世界王者。ドネアやフルトンら一流王者と拳を交えることで、井上は成長し、すごみを増し、世界的評価も高まった。

日本人では無理と言われたミドル級で村田諒太が五輪とプロで頂点に立ち、井上が2階級で4団体の王座を統一し、来年は井岡、井上に続き田中も4階級制覇に挑む。それは日本ボクシング界にしっかりとした土壌ができた証しでもある。「令和の時代に日本人の世界ヘビー級王者が誕生するかもしれない」。あの時の予言めいた大橋会長の言葉が、今はふに落ちる。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)