東京オリンピック、パラリンピックが間近に迫り、全国を回っている聖火リレーもいよいよ、私の地元である石川県にやってきた。2019年12月に聖火ランナーに選ばれてから、約1年半。ようやく先月末に、聖火リレーに参加することができた。

しかし、このコロナ禍での開催。2週間前からは体調と体温を専用用紙に記入し、イベント直前にはクリニックへ行き、PCR検査も実施した。全国の状況から予想はしていたが、当日は公道での聖火リレーは中止。金沢城にて、聖火ランナーに選ばれた皆さんと、トーチキスのみのイベントとなった。


石川県で行われた聖火リレーイベントでの筆者
石川県で行われた聖火リレーイベントでの筆者

私がオリンピックを初めて認識したのは、1998年に長野で開催された冬季オリンピックだ。自国開催だったこともあり、テレビでは連日、オリンピックの話題で持ちきりだった。

聖火リレーの最終ランナーは、元フィギュアスケート選手の伊藤みどりさん。女神のような衣装で登場し、聖火台に点火した瞬間の大きな歓声や、会場中の熱気は、テレビからでも十分に伝わってきた。あの何とも言えない胸の高鳴りは、今でも忘れられない瞬間である。

その時はまだ、オリンピックをあまりよく分かっていなかったが、子供心ながらにとても魅力的に映った。

当時、小学生だった私は、その頃から飛び込みの全国大会などで優勝していた。記者からのインタビューでは「目標はオリンピックですか?」と聞かれることも多くなっていた。

オリンピックは世界で一番大きな大会。「そう簡単には出られない」ということくらいは分かっていた。何年も血のにじむような努力をして、世界で結果を出さなければいけないという、気の遠くなるような未来。そのため、心の底から「出たい」とは答えられないという、現実的な考えを持った、かわいくない子供だった。

それでも、年々オリンピックへの意識は高まっていった。毎日学校から帰ってくると、2000年シドニーオリンピックや、2004年アテネオリンピックのビデオを見る。それから練習へ行くのが、日々のルーティンになっていた。「こんな舞台で戦えたらカッコイイな~」と思う半面、練習は厳しくやめたくなることも多かったジュニア時代。あまりオリンピックを意識しすぎると、心が折れてしまいそうになるため、目の前の試合を1つ1つこなす方法が私には合っていた。

そんな中でつかんだ2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックの代表。やめたいと思いながらも踏ん張って頑張ってきたことが、報われた瞬間だった。


聖火リレーイベントでのトーチキス
聖火リレーイベントでのトーチキス

そして、2020年東京オリンピック、パラリンピックの開催が決定。選手としては参加出来なかったが、小学生のころにテレビで見た感動が、現実となった。

聖火ランナーとして選んでもらえた時は、本当にうれしかったし、走る日が楽しみで仕方がなかった。なのに、今は、心から楽しめない気持ちがとても悲しかった。

私は元アスリートであり、オリンピアン。オリンピックの価値や素晴らしさを知っているからこそ、オリンピックを応援したい。しかし、みんなが、心の底からそれを伝えられない苦しさがとてももどかしい。

東京オリンピック・パラリンピックの開催に関して、それぞれの立場によって意見があることは理解できる。しかし、連日の報道などで見る現状には、どうしても疑問を持ってしまうこともある。スポーツはフェアであり、相手を思いやる心を育み、勝負によって自分を高めていくもの。

「スポーツとは何か」「オリンピックとは何か」

もう1度原点に返り、きちんとみんなで考える時がきているのかもしれない。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)