あの強い日本代表はどこに行ったのか。ひどすぎる負け方だった。53年ぶりの銅メダル獲得を期待したサッカーの3位決定戦。開始直後からおかしかった。疲れからか体の動きが重く、キレがなかった。集中力に欠け、ミスも連発した。PKで先制点を献上し、その後もゴールを許した。途中出場の三笘が1点を返したが、あまりに遅かった。

疲れはあっただろう。延長まで120分を戦った準決勝のスペイン戦から中2日。メキシコも準決勝はブラジルとPK戦まで戦っているが、準々決勝まで含めれば消耗度が違っても無理はない。キックオフが2時間早まり、暑さもあっただろう。これだけ疲れが可視化されることも珍しい。

準決勝に敗れたショックも残っていた。金メダルを狙ったチームだけに、3位決定戦に集中できないのは分からないでもない。もともと「3位決定戦」はサッカーに合わない。W杯ではメンバーを大幅に入れ替えるし、ノーガードで打ち合うこともある。「廃止論」は大会のたびに起こる。

68年メキシコ大会でも、3位決定戦前に選手は闘志を失っていた。準決勝でハンガリーに0-5と大敗。中1日の試合が続き、心身ともに疲れ切っていた。攻撃の中心だった杉山隆一氏(80)は「3位決定戦なんて、どうでもいいと思っていたよ」と振り返る。

ところが、特別コーチだった西ドイツのクラマー氏がゲキを飛ばす。「次に勝ってメダルを持ち帰ろう。歴史をつくろう。銅メダルもいい色だぞ」。選手たちは最後の力を振り絞り、メキシコに勝利。疲れ切ってベンチに倒れ込むと、クラマー氏は「大和魂を見た」と言ったそうだ。

結局、メキシコの銅メダルを超えるどころか、並ぶこともできなかった。12年ロンドン大会と同じ4位。帰国時、メダリストと離れて寂しく飛行機を降り、銀座のパレードも蚊帳の外だった9年前。メダルの重さを知る吉田や酒井は若手を鼓舞し続けたのだろうが、結果的には再び悔しい思いをすることになった。

ただ、将来を考えれば落ち込むことはない。68年は銅メダルを獲得したが、先に続かなかった。出場を目指した70年W杯は、予選敗退。「東京五輪前から同じ選手で長い間強化してきたから、銅メダルをとって終わりだった。先にはつながらなかった」と68年組の横山謙三氏は振り返った。

今回は、五輪4位のチームの多くがW杯予選へと進む。すでにA代表の主力になっている選手はもちろん、この経験でA代表に入ってくる選手もいるはず。森保監督のもと「ワンチームツーカテゴリー」で強化してきた成果が出るかどうかは、今大会だけでは分からない。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

日本対メキシコ メキシコに敗れ号泣する久保(手前)に声をかける吉田(撮影・河野匠)
日本対メキシコ メキシコに敗れ号泣する久保(手前)に声をかける吉田(撮影・河野匠)
ピッチで涙する久保(右)に声をかける酒井(撮影・河野匠)
ピッチで涙する久保(右)に声をかける酒井(撮影・河野匠)