「世界一の練習を積めなくなったこと」。体操の内村航平は、引退を決意した理由を口にした。五輪個人総合2連覇、世界選手権同6連覇などで「キング」と呼ばれた。誰よりも体操を愛したからこそ、葛藤もあったはず。重たい決意の裏にあったキーワードは「世界一の練習」だった。

「今でも胸に刻んでいる言葉です」。そう聞いたのは16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)の直前、史上4人目、日本人としては68年メキシコシティ。72年ミュンヘンの加藤沢男さん以来となる個人総合2連覇に挑む前だ。

加藤さんの言葉だった。08年北京五輪前の合宿で、19歳の内村に告げた。「世界一の練習をしなければ、世界一にはなれない」。練習嫌いだった内村に、偉大な先人の言葉が響いた。以来、量でも質でも「世界一の練習」をし、世界王者にあり続けた。内村の競技人生を支えた言葉だった。

1時間に及んだ会見で、内村はたびたび「伝えていく」という言葉を使った。自らの経験や理論を、次の世代に継承すること。そのために「栄光と挫折を知ったことはよかった」と、リオ五輪後のケガに悩まされ続けた5年間もポジティブに受け止めた。金メダルに彩られた栄光だけでなく、負けた挫折も、後進に伝えるためにプラスになると。

そういえば、加藤さんも同じことを言っていた。全競技を通じて日本人最多となる8個の金メダル。「一番印象に残るメダルは?」と聞くと、72年の個人総合連覇でもなく、76年の団体総合逆転優勝できもなく、意外な答えが返ってきた。

「76年個人総合の銀メダルだね」。3連覇を狙いならが敗れた銀。「初めて負けた人の気持ちになれた。あのまま勝ち続けてやめていたら、つまらない人生になったよ」。負けたからこそ、得られたものが大きいという。「栄光」が大きければ大きいほど「挫折」の経験は貴重になる。

60年ローマ大会からの五輪団体総合5連覇、低迷期を経ての04年アテネ大会団体総合金メダルの「栄光の架け橋」。受け継がれてきた「美しい体操」と「世界一の練習」。内村自身が継承してきたからこそ、次の世代に「伝える」ことを大切に思うのだろう。

加藤さん自身は内村にかけた言葉について「そんなこと、言ったかなあ」と話したが、圧倒的な競技成績を残したからこそ、言葉が響く。「加藤さんらしいなあ」と苦笑いした内村こそが、その立場にある。若い選手は「(内村)航平さんから言われたから」と口にする。何気ない言葉も、その影響力は絶大なのだ。

日本スポーツ界で、名前の前に「キング」がつく選手は少ない。競技力だけでなく、圧倒的な「影響力」があるからこそだ。だからこそ、これからの内村が楽しみ。体操界、スポーツ界に何を発信し、何を残すのかにも期待したい。

内村が引退を発表したのと同じ11日、日本サッカー界の「キング」カズが移籍を発表した。Jリーグの横浜FCから下部リーグJFLの鈴鹿ポイントゲッターズに。こちらも、抜群なのはその影響力。多くのサッカー選手や周囲に何を与えてくれるか楽しみになる。

3月12日、内村の「引退試合」が行われる。翌13日にはJFLが開幕する。2人の「キング」が新たな道を歩み始める。

(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

加藤沢男さん(2009年10月28日撮影)
加藤沢男さん(2009年10月28日撮影)