68年にわたる東芝のバスケットボールの歴史が幕を閉じた。昨季準優勝で東地区3位の川崎ブレイブサンダースが、東地区王者千葉ジェッツに競り負けた。第2戦に71-61で勝ち、1勝1敗として迎えた第3戦で15-22と敗れた。東芝がクラブを運営をする最後のシーズンを終えた。

 川崎は12日の第1戦に22点差で大敗した悔しさをバネに奮闘した。第2戦の第3クオーター残り3秒、自陣ゴール付近でスチールした藤井祐真(26)が、3点シュートライン付近から約20メートルの特大シュートを投げ込むなど気迫のこもったプレーで勢いをつけ、勝利を呼び寄せた。しかし、20分の休憩の後に行われた前後半5分ずつの第3戦で千葉の堅い守備に阻まれ、力尽きた。

 今季リーグ最多の145本の3点シュートを決めた辻直人(28)は第2戦で1得点のみと沈んだ。試合後は目頭を押さえて下を向き、必死に涙をこらえた。「こういう結果で終わらせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱい」。35秒間言葉を詰まらせた後、悔しさを吐き出した。「Bリーグに参入できたのも、すごい問題はいっぱいあったと思うんですけど、(クラブ運営会社の)荒木社長をはじめ、(経営課題のあった時期にプロ化に尽力した)そういった方のために本当に勝ちたかった。本当に申し訳なかったと思います」。

 チームは1950年に東芝の企業チームとして創部され、15-16年シーズンにNBL最後の王者になるなど4度のリーグ優勝を誇る名門。昨年12月、チームの発展を踏まえ、プロ野球の横浜ベイスターズも手掛けるDeNAへクラブ運営権が移行することが決定した。以降、辻は何度も東芝への思いを口にしていた。7日に行われたチャンピオンシップに向けた会見でも「昨年は目の前で優勝する様子を見て、悔しさを一番味わった。今年こそ何としてもタイトルを取りたい。歴史の長いチームに最高の恩返しを」と話していた。

 辻は青学大卒業後の2012年に当時の東芝ブレイブサンダースに加入。14年には天皇杯優勝、NBL優勝の2冠も達成し、「強いブレイブサンダース」をけん引してきた選手の1人だ。主将の篠山竜青(29)も日大卒業後の2011年に東芝に入社し、東芝ブレイブサンダースに加入。社員として仕事をする傍ら競技に打ち込んできた。かつて篠山は「東芝で仕事をしているときも、あちこちの部署にバスケットボール部のOBがいて、手取り足取り仕事を教えてくださった。東芝は人が温かい会社です」と語っていた。今季すべての試合を終え、親会社への思いを丁寧な言葉で語った。「改めて感謝の気持ちでいっぱいです。結果が出ないとき、チームが弱いときも(東芝は)温かく声援を送ってくれました。60年を超える支えがあったからこそ今のチームがあると思うので、かかわってくれた人たちに感謝しています」。

 この日、川崎のゴール裏はアウェーカラーの白シャツをまとった川崎ブースターで埋め尽くされた。現役時代に東芝でプレーした北卓也監督(45)は「これだけのファンが来てくれてびっくり、うれしく思います。昨年は決勝で(相手栃木カラーの)真っ黄色に埋まったゲームを経験して、少しずつ、川崎ブレイブサンダーズというチームが変わってきていると感じている。もっと人気が出て、常勝チームになることを願っている」とさらなる発展に期待を寄せた。

 来季も練習拠点やホームアリーナは変わらず引き継がれるが、ユニホームやチームカラーは未定となっている。千葉との今季最終戦は、チーム名に込められた「ブレイブ」の通り、力強くスピード感あふれるプレーで、勇敢に戦い抜いた。【戸田月菜】

 ◆川崎ブレイブサンダース 1950年に同好会「東芝小向」としての活動を開始、55年に関東実業団リーグ参戦。75年に名称を「東京芝浦電気」とし、2000年年には天皇杯、日本リーグ優勝の初の2冠を達成。13年「東芝ブレイブサンダース神奈川」に変更し、14年に天皇杯、NBL優勝の2度目の2冠。合計3度の天皇杯優勝、4度のリーグ優勝。「川崎ブレイブサンダース」としてBリーグに参戦し昨季は中地区優勝し、CSでは準優勝。