東日本大震災で被災した中学3年生は、今やバレーボール男子日本代表で欠かせない存在だ。ミドルブロッカーの小野寺太志(25=JTサンダーズ広島)は、津波被害などで900人以上の犠牲者が出た宮城県名取市出身。競技を本格的に始めて10年。キャリアを積んでいく中でも「3・11」を迎えるたびに、故郷宮城のために何ができるかを考えている。

2011年3月11日は中学校の卒業式だった。式を終えて家族旅行に出掛けるために自宅で身支度を整えていた矢先、今までに感じたことのない強い揺れを感じた。「テレビなどが落ちないように支えるだけで精いっぱいでした」と振り返る小野寺だが、自宅は高台にあったために被害は免れた。

旅行は急きょ中止。一時は電気や水道といったライフラインが絶たれた。役場職員だった父は現場に借り出され、残された母と一緒に余震を恐れてリビングで寝た。

状況が徐々に伝わってきたのは数日後。津波にのまれた犠牲者の中には、卒業式に参列した音楽教諭がいた。「授業でもお世話になった方だったので、亡くなったと聞いてもなかなか実感が湧きませんでした」。気仙沼市内にいた祖父母宅は1階部分が流され、2人とも命からがら逃げた。周囲のことを知るうちに、決して人ごとではないと思わされた。

余震もなくなりしばらくたった頃、父の案内で名取市内の沿岸部まで車を走らせた。水浸しになった畑の上に浮かんだ家畜の亡きがら、津波によって倒壊した家々の残骸。慣れ親しんだ市内の景色は一変し「帰りの車中で誰ひとり言葉を発することができませんでした」と実感せざるを得なかった。

宮城・東北高、東海大と故郷を離れて寮生活を送って練習に打ち込み、17年にJTでデビュー。202センチの恵まれた体格を生かし、昨季はVリーグ男子1部の個人賞2冠(スパイク賞、ブロック賞)を獲得。男子日本代表では4位に輝いた19年W杯で出場全試合でスタメンに名を連ねた。

「3・11」のたびに生まれ故郷に恩返しがしたい気持ちが高まり、これまでにも故郷宮城で行われたバレーボール教室に関わるなどしてきた。今年は沿岸部の慰霊碑などに花を届けるプロジェクトに賛同し、クラウドファンディングを呼び掛けた。1200キロ以上離れた広島にいても、地元宮城のためにできることをしていきたいとの思いは今も変わらない。

◆小野寺太志(おのでら・たいし)1996(平8)年2月27日、小学校時代から野球に没頭し、宮城・名取一中3年時は3番ファースト。県中学総体初戦敗退後、195センチ近くある長身を生かしてみようとバレーボールを始める。間もなくして県選抜で全国中学大会に出場し、オリンピック有望選手賞を獲得するなど早くから頭角を現す。地元の東北高卒業後、東海大3年時にシニア代表初選出。202センチ、98キロ。

【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

笑顔が絶えない宮城・東北高時代の小野寺
笑顔が絶えない宮城・東北高時代の小野寺