旅立ちの春、3カ月ぶりに全部員が集まった。大きく膨らんだ桜のつぼみから、美しい花が咲き始めていた。

3月19日、京都。同大のラグビー場にブレザー姿の部員が顔をそろえた。マスクを着け、卒部式で部歌を控えめに口ずさんだ。4年生34人は目標の舞台で戦うことなく引退を迎えた。

卒部式後にラグビー場で記念写真に納まる同大の4年生(撮影・松本航)
卒部式後にラグビー場で記念写真に納まる同大の4年生(撮影・松本航)

昨年12月6日。全国大学選手権初戦を1週間後に控え、総仕上げに入っていた。FW、BKに分かれた練習中、グラウンド中央に全員が集められた。伊藤紀晶ヘッドコーチ(HC)の静かな声が響いた。「陽性やった」。数日前に体調を崩した部員が、新型コロナウイルスのPCR検査を受けていた。プロップ栗原勘之(4年)が108キロの大きな体で肩を揺らし、人目を気にせずむせび泣いた。フランカー中尾泰星主将(4年)は、気丈に振る舞った。

「陽性者が1人なら希望は持てる。気持ちを切らさず、できることをやろう」

その希望はすぐに消えた。伊藤HCから新たな陽性者の連絡を受け、中尾は感情を失った。2日後に大学選手権辞退を発表。80年代に故平尾誠二さんを擁し、3連覇を飾った大舞台に立つことすら許されなかった。寮内で集まることもできず、1人部屋の前に弁当が届けられる毎日。テレビをつけると、天理大の試合が中継されていた。関西リーグ決勝で敗れはしたが、後半は大善戦した。関西勢として36季ぶりに大学日本一となった、ライバルの躍進を受け入れられなかった。

「大学選手権で天理が勝つのも見たくない。負けるのも見たくない。少し見て、やっぱりチャンネルを替えて…の繰り返しでした。天理が日本一になる姿を見ても、純粋に悔しかった。もう1度、戦いたかった」

卒部式後にラグビー場で記念写真に納まる同大の中尾泰星主将(右から2人目)(撮影・松本航)
卒部式後にラグビー場で記念写真に納まる同大の中尾泰星主将(右から2人目)(撮影・松本航)

コロナに翻弄(ほんろう)されたのは彼らだけではなかった。1月7日。全日本高校バレーボール選手権(春高バレー)に臨んだ東山(京都)は、3回戦の試合前練習を行っていた。チーム内に発熱者がおり、直前に大会側から棄権を告げられた。体を温めていた選手は泣き崩れ、豊田充浩監督は「残念としか言いようがない。この1年、全国制覇を目指して、辛抱してやってきた」としぼり出した。2連覇への道はその瞬間、戦わずして消えた。

その無念にVリーグ男子1部(V1)サントリーが手を差し伸べた。3月20、21日に東山と市尼崎のエキシビションマッチを企画。サントリーは「今春卒業する3年生と両校の大切な思い出となることを願っています」と思いを込め、高校生を温かく見守った。しかし…。最後の試合となるはずだった21日は、関係者の発熱で中止。2度も、見えない敵に振り回された。

歩みを狂わされ、コロナを何度も恨んだ。

同大の中尾は自らに暗示をかけた。

「どこかで日常に満足していたのかもしれません。『もっと頑張れ』と言われている気がします」

その教訓を胸に、新たな道へ歩み出す。【松本航】

卒部式後にラグビー場で記念写真に納まる同大の4年生(撮影・松本航)
卒部式後にラグビー場で記念写真に納まる同大の4年生(撮影・松本航)