北京では、同じ時を過ごしたフィギュアスケーターたちが勝負の時を迎えていた。

「本当に頑張ってほしいですね。その姿をみたら、また何か気持ちの面でもしっかりできる部分があるかも知れない」。

レースでターンを決める平川香織(本人提供)
レースでターンを決める平川香織(本人提供)

1月、ボートレーサーの平川香織(21)は、悩む心に、氷の仲間たちの姿を思い描いていた。

元フィギュアスケートの選手だった。坂本花織、樋口新葉はジュニア時代の有望新人合宿で一緒に過ごした仲。特に樋口とは中高が同じ、練習拠点は違ったが、連絡を取り合う間柄だ。

「新葉はめっちゃ努力家。人一倍練習してました。人が1回やるところを2回やる。数をやる子で。努力も知っているし、本当に良かったなと。五輪出場が決まって『おめでとう』とラインしました」。

きっかけは3歳だった。スピードスケートが趣味だった両親に連れられ、山梨県の富士急ハイランドでスケート靴を履いた。すぐにとりこになった。実家のある東京で滑れるところを探し、高田馬場にリンクを見つけた。

「本格的に通いだしたのは6歳くらい。真央ちゃん世代だったので、ビールマンスピンとかモノマネしてました」。

浅田真央が国民的ヒロインとなっていた頃。体操、バレー、水泳などの他の習い事の機会は減り、興味はフィギュアに向いた。

「毎日行ってました。親が送ってくれて。滑ってないと落ち着かない感じでした(笑い)」

長いときは午前5時前から仮眠を挟んで一日中、スケート場にいた。柔軟性を生かしたスピンなど、自然に上達していった。小1で3級。まさに「好きこそ物の上手なれ」だった。

全国中学生選手権や国体などにも出場していた競技人生が区切りを迎えたのは15歳の時だった。

「15歳はスケーターみんなが壁にぶつかる。女の人だと体形変化など、そこで乗り越えた人がトップにいけると思うんですけど、自分はそこですごく悩んで。跳べなくなり、若干、神経の前庭神経炎という病気になって。目まいとか、耳鳴りとかで1カ月くらい入院したり」。

3回転まで跳べていたジャンプに、退院後は苦しんだ。感覚はいいのに、2回転半で降りてしまう。このまま続けても…。悩む中で見つけたのが競艇の世界だった。

試合に臨む平川香織
試合に臨む平川香織

「たまたまボートを見に来た時に、加藤俊二さんが走ってて。すごいなと思ったら、『73歳だよ』と。『えっ!』となりました」。

競艇界の行ける伝説の走りを目の当たりにした。埼玉県の戸田競艇場は父に連れられて幼少期からきていたが、目的はキッズコーナー。爆音を立てて水上を走るボートは見た記憶もなかった。悩める15歳、ふと見た走りが人生を動かした。

「スケートは20歳がピーク。やるからには1番を目指したかった」。

16歳から養成学校に入れると聞き、道を決めた。

実際に初めてボートに乗ったのは、ファンが体験できるペアボート。

「無理だと思いました(笑い)。あばらが痛くて。意外と体幹がなかったんだと。15歳で骨もちゃんとしてなかったかもですが、これは無理かもと」

トップスピードの半分ほどで悲鳴を上げた。何より、氷はいいが水は…。

「水がすごく苦手で泳げない。アヒルボートも乗りたくないくらい。プールも水に顔をつけたくないくらい。最初はこの世界に入るのに抵抗があったんです。そこの抵抗しかなく…」。

ただ、スイッチが入った。怖さにすくんでいる暇はない。試験に合格したいと勉強に没頭した。

晴れて合格。そして、入所すぐに転覆を味わった。それが良かった。

「意外に大丈夫だったんです。死んだと思ったんですが、『こんなもんなんだ』と」。

逆に全速力で走る思い切りの良さに、教官は「初めてでこんなに(速度調整のレバーを)握らないぞ」と褒めてくれた。

「なぜか楽しくて握れて。そこから意外といけるじゃんとなりました。怖いのは今も怖いですが、楽しいが勝っているかな」。

レースに臨む平川香織(本人提供)
レースに臨む平川香織(本人提供)

意外な感覚の一致もあった。フィギュアは靴底の細いブレードで方向を操る。ボートも艇の下についたフィンが動きを決める。

「フィンでターンするんです。そのかける感覚、ハンドルを切る感覚とか。スケートのエッジ、アウトサイド、前側、外、後ろ前とか、そういう乗り方と似ている部分はある。体感的な部分では生きているかなと」。

ペアボートに乗った戸田を拠点にし、18年5月にデビュー。19年8月に初勝利を挙げた。持ち前の強気と操縦技術で勝ち星を積みあげていったが、22年の現在は苦しみの中にいる。腰の調子が良くなく、レースに思うように出場できていない。

ただ、もがきながら、そのリハビリの時間を大切に思っている

「フィギュアの頃は自分と向き合う時間もあまりなかった、忙しすぎて。ボートで初めてですね。気持ちの面でもすごく緊張して良い結果出せないことの方が多かったかなと。楽しんでレースをすること。もう、あの時の失敗をどういうふうに良い方につなげられるかを常にボートに乗るときも考えています」。

北京ではあの頃の仲間が躍動していた。樋口は2度のトリプルアクセル(3回転半)を決めた。坂本は銅メダルを手にした。

「自分も」。

今日も水の上で戦う。【阿部健吾】

平川香織(2018年5月21日撮影)
平川香織(2018年5月21日撮影)

◆平川香織(ひらかわ・かおり)2000年(平12)7月19日、東京都生まれ。18年5月の戸田でデビュー。19年8月唐津で初勝利。通算24勝。151センチ、46キロ。血液型B。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)