40年ぶりの金メダルへ、マットに帰ってきた。レスリングの明治杯全日本選抜選手権が19日まで東京・駒沢体育館で行われ、昨夏の東京オリンピック(五輪)男子グレコローマンスタイル60キロ級で銀メダルを獲得した文田健一郎(26=ミキハウス)が実戦復帰した。

約10カ月ぶりの試合。準々決勝から順当に勝ち上がり、決勝では鈴木絢大(23=レスターホールディングス)の挑戦を6-3で退けた。2大会ぶり2度目(旧59キロ級も合わせると4度目)の優勝。世界選手権(9月)代表を決めるプレーオフに持ち込むと、鈴木との再戦も4-2で勝利。自身は欠場していた昨年の明治杯と全日本選手権を制した3歳下を、五輪メダリストの実績と意地で上回った。

レスリング 明治杯全日本選抜選手権 男子グレコローマンスタイル60キロ級で優勝した文田(2022年6月19日撮影)
レスリング 明治杯全日本選抜選手権 男子グレコローマンスタイル60キロ級で優勝した文田(2022年6月19日撮影)

プレーオフは残り1分18秒まで2-2の接戦で文田が1点×2、鈴木が2点。ビッグポイント(同点で終わった場合、点数の高い技を決めた選手が勝利)の差でリードを許している状態だった。

それでも「焦りはなかった」という。結果より、全試合を通して「前に出る」ことだけを徹底していた。

「五輪の決勝が、すごく悔しくて。何もさせてもらえなかったこともあるんですけど、何より、押し負けたことが本当に悔しい。同じ階級で押し負けることはないだろうと勝手に思っていたので。へし折られましたね、自信と鼻が」

確かに、世界王者として臨み、優勝候補筆頭だった自国開催の五輪は2位だった。決勝でオルタサンチェス(キューバ)に1-5で敗れた。号泣した。グレコの日本勢では84年ロサンゼルス大会の宮原厚次以来37年ぶり5人目となる金メダル、に輝くはずだった。それしか考えていなかった。

だが、あの日は投げることができなかった。研究されていた。封じられた。だから、明治杯に向けて「前に出る」ことにフォーカスしてきた。

「これまでは結局、口だけでした。『押して前に出る』とは言ってきたんですけど、本当に『押して前に出る』ところを強化しないといけないなと」

グレコローマンスタイルは腰から下の攻防が禁じられている。フリースタイルと違い、上半身で、投げ技で勝負する。豪快に。文田の独壇場だった。

だが「前に出る」道も極めないと、勝ち切れない時があることも知った。五輪後、どう高めてきたのか。問われると「単純です」と即答した。

「今まで、スパーリング(実戦形式の練習)では投げメインでした。最後は投げられるから、という自信で6分間のうち5分間が経過するまで0-0とか何も起きない展開が多くて、でも最後に投げて勝ってきたんですけど、そうじゃなくて。相手選手が嫌になるぐらい、諦めるぐらい、常に前に出て。投げられる場面でも我慢して前に出る、押し続ける、それだけ意識する練習をしてきました」

そして続けた。

「今、五輪直前の自分とやっても、押し勝てるくらいの力はあると思います」

4年に1度…史上初の延期で5年も待った大舞台にピークを合わせた当時と、復帰戦の現在では仕上がりが大きく異なるはずだが、そう言い切れるほどの自信がある。実際に、押し込んで追い込んで、まずは国内の頂点に返り咲いた。

その前段階では、しっかり充電もできた。

「3カ月、まるまる休みをもらいました。五輪が終わったら、ご褒美として車で日本中を回りたいなという思いがあって。今回はゴールを山口県にすると決めていました」

日体大の仲間がいた。「本当に仲の良かった同期には直接報告したくて」。所属先、恩師、サポートしてくれた関係者友人にメダルを見せて回った。あれだけ悔しかった銀色でも「おめでとう」と言ってくれた。

「その中で、最後は山口県の同期のところへ行くと決めていて。会って関門海峡の下を歩きながら、悔しかった五輪の思いを打ち明けたり、これからについて語り合ったり、こっちが涙ぐんでしまうぐらい『俺も悔しかった』と試合の感想を言ってもらったり。1人じゃないんだ、と再認識できました」

心は整った。一方で苦笑いする。体重は激増していた。MAXを確認されると「え~と。そうですね~。75キロです! ははは」と明かして笑い飛ばした。計量直後の60キロから比べれば125%増だった。

「74・5キロを超えた後は怖くて体重計を見てません(笑い)。レスリングとは無縁の期間を過ごして。本当に練習はゼロの生活。1週間の予定を何も立てず、毎日、思うままにブラブラしたりして過ごして。お酒を飲みたくなったら『今日は早い時間から飲んじゃおっかな』とか」

心にも体にも、蓄えるものをたっぷり蓄えた後、昨年11月1日の1並びの日に日体大で練習を再開した。

「最初は体重が重かったし、感覚も戻らないし、体力も落ちていたし。これは6月(今回の明治杯)に間に合うかな…」という肌感覚だった。

かつてない減量に加え、復帰戦まで「6、7カ所も連続で負傷した時期もあった」ことまで打ち明けた。

「何かに取りつかれてるんじゃないかな、と思ったくらい細かいけがが。最近だと、ぎっくり腰。いきなり力が入らなくなって。今年27歳。もうベテランというか(競技人生の)半分は過ぎたと思っているので。あまり羽目を外しすぎず、自己管理にも力を入れていかないといけないなと」

最終的には7カ月かけて慎重、気長に調整し、本来の肉体に戻した。だからだろうか。「率直に思ったよりも動けました。マットに上がってウオーミングアップを始めた瞬間から、もうワクワクしていましたね。緊張感とアドレナリンで(後輩の)学生から『(オーラ)見えますね』なんて言われたり」

結果は、優勝と世界選手権の切符獲得。まだまだ老け込むには早すぎる。

「思いました、やっぱり戦ってる自分が好きだなって」

忘れ物は24年にパリへ取りにいく。グレコ日本勢40年ぶりの頂点へ。2年後から逆算して照準を定めた。

「今年の12月からパリ五輪予選が始まります。その前に、まずは、また世界選手権で勝ちにいきたい」

敗れて終わった銀メダリストほど、金メダルを渇望している人間はいない。

「今の自分には『世界チャンピオン』という称号がないんです。五輪は2位、世界選手権も(コロナ前の19年以来の金メダルを)取り戻さないといけない。挑む気持ちでダメな部分を見つけ出していかないと、まだ世界のトップには追いつけない。まだまだ自分に厳しくやっていく必要があります。行ってきます!」

2大会ぶり3度目の出場となる世界選手権は9月10~18日にセルビアの首都ベオグラードで開催される。

【木下淳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)