9月18日開幕のラグビーW杯イングランド大会まで、あと1カ月と迫った。8強進出を目標とする日本代表にあって、外国出身選手の力は不可欠だ。外国出身選手の歴史をひもとくと、初めてW杯に出場したのは現代表のNO8ホラニ龍コリニアシ(33=パナソニック)の伯父、トンガ出身のノフォムリ・タウモエフォラウ氏(59)。第1回の87年ニュージーランド・オーストラリア大会でウイング(WTB)として活躍した。現在は埼玉工大で指導するパイオニアが、日の丸を背負う責任感、おいホラニへの思いなどを語った。

 僕は東京三洋(現パナソニック)に入った85年、初めて代表に呼ばれた。その時は信じられなかった。国籍も違うしトンガ代表のキャップも持っていたから、入れないと思っていた。

 初めてのW杯の初戦(米国戦)でブリスベーンに立った時は、すごく感動した。しかし悔いはある。勝ちたかった。ただ、パワーの差は感じた。僕がもっともっとやらないといけなかった。歴史に残るから、負けたのは今でも悔しい。

 ラグビーくらいですよね、外国人が代表チームにいるのは。初めての日本のジャージーはすごく重かった。母国よりもっと責任を感じた。それだけこの国でやれることが僕はうれしかった。7人兄弟の長男で、稼いで家族を助けたいと思っていた僕に仕事をくれた国だから。他にもトンガの選手がたくさんいるのに、神様が救ってくれたのかな。

 プレッシャーはすごくあった。自分が外国人として選ばれたことに。それは日本人じゃないのに呼んでくれたことへの感謝の裏返しでもあった。日本ラグビーの歴史で初めて片仮名の名前だったわけだから。不思議な巡り合わせだった。日本の方がどう思っていたかはわからないけれど。

 本来は日本人が強くて外国人が入れないのが一番だと思う。ただ、今はまず外国人の力を借りて、だんだん日本人も強くなればいい。外国人選手の中でプレーをできていれば、レベルが上がって日本人だけで大丈夫になると思う。僕の時は、日本人選手はコンタクトが全然弱かった。強い相手と当たることに慣れていないから、練習でやっていることが本番で意味がなかった。でも今は、(世界最高峰の)スーパーラグビーにいった堀江らはすごく成長している。日本代表なんだから日本人が出てほしい、と思う気持ちはわかる。

 コリー(ホラニ)は大学の時から、他のトンガ人とはプレーがちょっと違った。慌てず、考えてプレーする。短絡的にいかない。だから日本代表にも入れるんじゃないかと思っていた。コリーにはタックルの仕方を教えた。相手の弱いところに入れと。たとえばビール瓶は、太くなっていく途中の部分をたたくと簡単に割れる。人間も同じだと。人でいうと脇腹くらいの高さ。コリーはそこにタックルすることができている。

 W杯8強という目標は難しいとは思う。でも同じ人間。無理はない。1人も気を抜かず、全員でいけば。コリーのタックルをFW全員ができればと本当に思う。コリーはエディーさん(ジョーンズ・ヘッドコーチ)の厳しい練習で体もまた大きくなった。だから本番で見るのが楽しみだ。【取材、構成=岡崎悠利】

 ◆ノフォムリ・タウモエフォラウ 1956年6月12日生まれ。トンガ出身。ポジションはWTB。79年にトンガ代表でプレー。80年に親日家のトンガ国王が「ソロバン留学」を奨励したことで来日し、大東大に入学。85年に東京三洋入りし、同年に日本代表に選出された。代表キャップ数は15。家族は両親と弟3人、妹3人。181センチ、107キロ。

 ◆87年W杯の日本VTR 宮地監督率いる日本は、初戦で米国に18-21と敗れると、第2戦でイングランドに7-60と大敗。最終3戦目で優勝候補のオーストラリア相手に、CTB朽木の2トライなどで食い下がったが23-42と力負け。1次リーグ全敗に終わった。