【メルボルン(オーストラリア)=吉松忠弘】日本男子に、また東京五輪の新星が誕生した。元ジュニア世界7位で、4大大会初挑戦のサンティラン晶(19)が、予選1回戦を突破した。ランク上で世界161位のイメル(スウェーデン)に6-3、7-6のストレート勝ち。日豪両国籍を持つ逸材が、同2回戦では第31シードのファビアノ(イタリア)に挑む。

 身長180センチから時速210キロ前後の強サーブをたたき込み、豪快なフォアの強打で締めくくる。サンティランが、予選とはいえ4大大会初挑戦で初勝利だ。「最初、緊張したけど、勝てて少しホッとした」。勝利の瞬間、思わずガッツポーズが飛び出した。

 第1、2セットともに先にリードを許した。15年に4大大会すべての予選を突破した相手の強打に、最初は押された。「昨年の9、10月ぐらいから、あまり勝てなかったので自信がなくて」。しかし、19歳という若さと思い切りの良さで、両セットともに追いつき、ストレートで勝利を奪い取った。

 ジュニア時代の13~15年、全豪ジュニア部門に出場。15年には4強入りし、同年のウィンブルドン・ジュニアのダブルスでは準優勝した。目立つことが大好きで、金髪にした時期もあったが、「今はそんなことしたら、おまえ何やってんのって言われる」と昨年プロに転向してから、大人になった。

 バックは片手でボレーもうまい。観戦した植田実男子代表監督も「何でもできるオールラウンダー。日本の枠に収まらない才能」と絶賛した。15年11月から拠点をタイ、オーストラリアからスペインに移し、ナダルを生んだテニス王国でテニス漬けの生活を送る。

 今年の目標は「トップ100に入ること」。3年後の東京五輪には「とても出たい」と、日本代表での出場を願う。まだ19歳。一般に転向した16年に615位でスタートした世界ランクも、最高で202位にまで上昇。20歳未満では、現在世界で11番目の位置につける日本期待の星だ

 ◆サンティラン晶(あきら)1997年(平9)5月22日、東京都大田区生まれ。南アフリカからオーストラリアに移住した父と日本人の母を持つ。5歳でテニスを始め、8歳で日本から家族でオーストラリアに移住。14年全仏ジュニア、15年ウィンブルドンジュニアのダブルス準優勝。15年ジュニア世界ランク7位。憧れはフェデラー。180センチ、76キロ。