「これは水中レビューではありません。スポーツです」という前口上とともに各地で演技を披露。そんな姿に憧れたのが井村HCだった。シンクロが採用された84年ロサンゼルス五輪から代表コーチを務めて、日本に6大会連続のメダルをもたらした。そんな井村HCが今、久子さんの孫を熱血指導している。脈々と受け継いできた伝統がある。

 久子さんは「今はシンクロは北海道から九州まで全国にある」と目を細める。孫との共通点について「演技が終わった時に拍手が起きると、私は楽しかった。佳南もそういいますね」。願いは日本シンクロが自国五輪で花開くこと。日本泳法もきっかけとなり、60年以上受け継がれたシンクロのDNA。ブダペストでの輝きが、東京につながっていく。

 ◆浜寺水練学校 1906年(明39)に毎日新聞社が大阪・浜寺海岸で開校した。夏季だけの水泳教室で卒業生が生徒を指導する伝統がある。従来の競泳法に加え、立ち泳ぎなど日本泳法能島流も取り入れる。現在は大阪府営浜寺公園プールで4~6歳児の短期教室、小学生以上の長期教室などがある。シンクロ部などは年間を通じ活動。開校110年で無事故、これまで37万人以上の生徒が学んだ。第111回の今年は、7月21日から8月22日まで。

 ◆日本泳法 武芸の1つとして伝えられた日本古来の泳法。海、川、池などの環境や、長距離を泳ぐ、水中格闘などの多様な泳ぎがある。能島流は、南北朝時代に伊予の豪族、村上義弘が瀬戸内海の海賊を配下に治めて軍法を制定。その軍法が「能島海賊流」と言われ、水軍兵士に必要な武術として発達したのが能島流とされる。