【ブダペスト13日=益田一弘】水泳の世界選手権が今日14日、シンクロナイズドスイミングなどで始まる。井村雅代ヘッドコーチ(HC、66)率いる日本代表は本番会場で最終調整した。リオデジャネイロ五輪後、20年東京五輪に向けた最初の世界大会。井村HCが学生時代に憧れた先輩で、現代表中牧佳南(25=井村シンクロク)の祖母久子さん(76)も熱い視線を送っている。

 古城を望む本番会場で、厳しい視線を送った。井村HSは「明日から1戦1戦。1つ間違ったら(リオ五輪銅から順位が)1つ下に下がる」と口にした。井村HCの「憧れの先輩」も、日本から見守っている。

 今大会でデュエット・フリールーティンを演じる中牧の祖母久子さんは「孫もそうだが、みんなに頑張って欲しい」と期待する。久子さんは大阪・浜寺水練学校シンクロ部1期生。59年の日本選手権はチームで初優勝した。「水中で足を上げてお行儀が悪い、お嫁にいけなくなる、と言われた頃」と当時を振り返る。

 以来、日本にシンクロが根付いて、世界でのメダル争いが当然になった。

 これは日本水泳界のルーツにも関係する。1906年(明39)開校の浜寺水練学校では平泳ぎなどとともに、立ち泳ぎを含めた日本泳法能島流を生徒に教えていた。25年(大14)には笛や号令に合わせて20人前後の集団演技を見せる「楽水群像(らくすいぐんぞう)」が作られた。54年(昭29)に米国のチームが神宮プールでシンクロを初披露した際、久子さんの仲間が「あれ、やれなくないなあ」と考えた。プールの更衣室の壁をスクリーンにしてフィルム映像を映し日本泳法の「鴎泳ぎ(かもめおよぎ)」などの技でまねた。久子さんは「当時は真剣な顔でないと『たるんどる!』と言われた。シンクロはにこっと笑うと、それが良しとされた。楽しかった」。