主砲で五輪へ挑む。ソフトボール女子日本代表の17年度第2次国内強化合宿が27日、石狩市スポーツ広場で始まった。日本代表の主砲で札幌市出身の山本優三塁手(29=ビックカメラ)は、特別開催のソフトボールクリニックで地元小学生の指導に奮闘。来年の世界選手権での2大会ぶり4度目の金メダル獲得、そして3年後の東京五輪出場へ、強い意欲を見せた。

 石狩で初開催の日本代表選手によるソフトボールクリニックが始まると、山本ははしゃぎ回る子どもたちと同じテンションで楽しんだ。指導の輪から外れ、報道陣から今後を問われると、途端に神妙な顔つきに変わった。「まだ強化指定選手の一員なので、(東京)五輪のメンバーに選出されることと、金メダルを取れるような選手になることが目標」と静かに思いを語った。

 08年の北京五輪で日本代表が金メダルを獲得した時は社会人2年目だった。前年に世界ジュニア代表として準優勝した経験はあったが「当時は20歳でしたし、(五輪日本代表とは)レベルが全然違うなと思っていました」という。10年に初のA代表選出を果たすが、競技そのものが五輪種目から外れてしまった。

 14年、16年の世界選手権を経験、現在は日本代表の不動の4番を務める。6月25日の日米対抗戦第3戦では、1-3で迎えた最終回の7回裏に、右越えのサヨナラ逆転満塁本塁打を放った。宇津木麗華監督(54)は「今の日本の三塁手に、彼女を超える選手はいない。監督としても今は頼り切っている。ケガがなければ2020年(東京五輪)のメンバーに入るはず」とその実力に太鼓判を押す。

 とわの森三愛高監督時代に当別高の山本と対戦した日本代表の矢端伸介チームリーダー(53)も「(高校時代は)可能な時は(四球で)歩かせた。そのぐらい北海道では実力が抜けていた。今の日本代表ではなくてはならない存在」と高く評価する。それでも五輪に競技が存在しない不遇の時を過ごしてきた山本は「今でも北京五輪のメンバーと比べれば実力が劣る。どんなタイプの投手でも打てるようになりたい」。札幌生まれのスラッガーが3年後、日本代表の4番として、五輪初出場を果たす。【中島洋尚】

 ◆山本優(やまもと・ゆう)1988年(昭63)8月20日、札幌市生まれ。札幌琴似中央小2の時に八軒東和グッピーズで野球を始める。札幌八軒中時代は女子硬式野球の札幌シェールズに所属。当別高でソフトボールを始め、2、3年時に道高校選抜で国体出場。07年ルネサス高崎入部。現在はビックカメラ高崎。07年世界ジュニア準優勝。14年世界選手権優勝、16年同準優勝。右打ち右投げ。164センチ、65キロ。