3位決定戦に挑んだ帝京長岡は、福岡第一に69-58で快勝した。昨年の4位から1ランク上がって、学校最高成績の3位を手にした。県勢としても最高成績で30大会ぶり。88年3月(同年は12月も開催)の新潟工以来の快挙だった。第1クオーター(Q)は相手を8点に抑えながら、大量26点を奪って突っ走った。

 優勝の夢は消えても、メンバーの闘争心は消えていなかった。第1Qに帝京長岡はベストパフォーマンスを見せた。持ち前のしつこく激しいディフェンスで、福岡第一の日本人選手に仕事をさせなかった。1点すら許さない、鉄壁の守りだった。1桁の8失点を許したが、すべての得点はコンゴ人留学生のCバムアンゲイ・ジョナサン(3年)。柴田勲監督(48)は「粘っこく、帝京長岡らしい守備をしてくれた」と言った。

 苦難を乗り越えて昨年の成績を上回った。ダブルショックを克服してチームの歴史を築いた。というのは、全国高校総体で活躍した主力の池田大雅選手(3年)が国公立大進学のために退部。チームの沈滞ムードに追い打ちをかけるように、9月15日には体育館の一部が火事で焼けた。改修工事に約2カ月間費やし、その間は長岡市内の公共施設を転々として練習した。そんな不利な条件をはね返しての銅メダル。チーム日本人最多18点のSF佐野翔太(3年)は「集大成。このチームでプレーできるのは、最後だから」と衰えない気迫を明かした。

 学校の体育館が使えない時期も練習に工夫を凝らした。行動を起こしたのは高田大和マネジャー(3年)だ。学校近くの自宅を3年生全員の合宿場として提供。自宅で夕食を全員で取った後に長岡市内の体育施設に出掛け、シューティングに励んだ。県予選直前の2週間の長期合宿だった。11月11日から学校の体育館は使用可能になったが、ウインター杯直前も1週間の自宅合宿でコミュニケーションを密にした。3位決定戦前夜の28日も3年生だけで「高校最後の試合。40分間やろう」と確認し合っていた。

 学校最高成績の3位に入り、帝京長岡は次のドアを開けた。柴田監督は「新たな目標を高いところに置ける。いい形で後輩たちにバトンを渡してくれた」と話した。SF五十嵐平主将(3年)も「勝って終われたことは、自分たちにもプラスになる」。笑顔が一気にはじけた。【涌井幹雄】