日本がボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の日本代表」の、20年東京五輪への参加機会を求める署名活動が25日、開幕1年に合わせてスタートした。呼び掛け人には元国連事務次長の明石康氏をはじめ、国際オリンピック委員会(IOC)名誉委員の猪谷千春氏、柔道男子日本代表の井上康生監督、日体大の松浪健四郎理事長、競泳女子平泳ぎ五輪金メダリストの岩崎恭子さん、日本パラリンピアンズ協会の河合純一会長ら各界から27人が名を連ねた。

事務局の日本スポーツ学会は、幻の代表選手らの「20年東京五輪の力になりたい」との訴えを受けて、17年に当時の関係者を集めたシンポジウムを都内で開催した。さらにモスクワ五輪女子体操代表で同学会会員の笹田弥生さんが中心となって、モスクワ大会の日本代表選手178人(馬術の候補選手含む)のうち所在の判明した92人にアンケートを実施。多くの元選手が「五輪代表と胸を張って言えない」など長年にわたり苦悩を抱えていたことが分かった。その後、笹田さんは元選手らと会合を重ねて、20年大会参加への道を模索していたが、今年5月に志半ばで急逝した。

日本スポーツ学会では幻の代表選手が、20年東京五輪の聖火ランナーや開会式のセレモニーの一員に起用されるよう提案している。事務局の波多野圭吾氏は「あのような悲劇は2度と繰り返してはならない。世界平和への願いを込める、という意味でも実現させてほしい」と話す。実際に84年ロサンゼルス五輪の開会式では、モスクワ五輪の幻の米国ボクシング代表のリチャード・サンドバルさんが歴代メダリストとともに「五輪旗」を手に入場して喝采を浴びた。

柔道の84年ロサンゼルス五輪無差別級金メダリストで、幻のモスクワ五輪代表でもある日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長も、今月上旬に組織委の森喜朗会長と面会した際に、五輪出場経験のない元代表選手たちの東京大会参加を要望していた。また西ドイツ(当時)がモスクワ大会をボイコットした当時、フェンシング選手だったIOCのバッハ会長は、こうした動きについて「素晴らしい考えだ」と後押しする姿勢を示している。

日本スポーツ学会はたび重なる北朝鮮のミサイル発射を懸念して、18年の平昌冬季五輪の開幕前に「オリンピック・パラリンピック休戦」への署名活動を実施して、平昌でバッハ会長に署名を届けた。その時の呼び掛け人の多くが、今回も呼び掛け人になっている。

署名方法は12月20日まで。「オンライン」と「用紙記入」の2つから選べる。詳細は日本スポーツ学会の公式サイトで。集めた署名は大会組織委員会とJOCに提出する。

◆モスクワ五輪 80年7月19日~8月3日にモスクワで開催された。前年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻への対抗措置として米国、日本、西ドイツなど50カ国近くが不参加だった。金メダル最有力と言われた世界選手権4度優勝の柔道男子78キロ級の藤猪省三、陸上長距離の喜多秀喜や伊藤国光、79~82年NHK杯4連覇の女子体操の笹田(旧姓加納)弥生ら日本代表の約半数は五輪に1度も出場できなかった。