16年リオデジャネイロ五輪男子400メートル個人メドレー金メダルの萩野公介(24=ブリヂストン)が、168日ぶりにレース復帰した。200メートル個人メドレー予選を2分1秒52で全体6位通過、決勝は2分0秒03で3位。モチベーション低下によって2月16日のコナミオープンを最後にブランクをつくったが、五輪まで1年を切った段階で戻ってきた。本格練習はわずか2カ月で日本代表候補入りの基準タイムは突破できなかったが、4日の200メートル自由形で再び同タイムにアタックする。

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168日ぶりに戻ってきた。声援を浴びた萩野はスタート台の上で胸を張って、すっと天井を見上げた。いつもと変わらないルーティンでレースに入る。予選2分1秒52、決勝は2分0秒03。自身が持つ日本記録1分55秒07にも、日本代表候補入りの基準タイム1分59秒23にも及ばない。それでも胸に喜びがあった。

「タイムがどれぐらい出るか、大丈夫か、緊張していた。でも皆さんの声援を聞いて、小さいことを考えるより、1本を全力で泳ごうとシンプルに考えられた。幸せ者だな、恵まれているなと思った」

金、銀、銅を獲得した16年リオデジャネイロ五輪の歓喜。そこから失意が続いた。けが、体調不良、ライバルのケイリシュ(米国)に敗北。2月16日のコナミオープン予選で張り詰めていた気持ちがはじけた。自己ベストよりも17秒以上遅い全体の7位。プールを上がると、右側に傾くように、ふらつきながら控室に戻った。決勝を前にアップの時間になっても、起き上がれない。棄権。「萩野公介」の名前が印刷されていた決勝のスタートリストは差し戻しになった。乱れた泳ぎは、自身が求める理想とはかけ離れた。「1人でレースをしているような、寂しかったし、つらかった。水泳がすごく好きだけど、嫌いになっちゃいそう、嫌いになりつつあるという怖さ、不安が出てきた」と振り返る。

約3カ月の休養。「泳ぎたい欲求が出てきた」。東洋大の練習にフル合流したのはわずか2週間前。復帰宣言時にも、平井コーチの「そんなに簡単じゃないかもしれない」と予想があった。この日の決勝前にも恩師から「相当、頑張らないといけないぞ」とメッセージを受け取った。その見立て通り、レースは甘くなかった。ただ、代表候補入りの本命レースは9月の茨城国体で出場予定の100メートル背泳ぎと位置付ける。今大会は調整不足を覚悟した上で、試運転の意味合いが強い。

世界選手権個人メドレー2冠=五輪内定の瀬戸には会場で会って「おめでとう」と声をかけた。「大也は自信を持って臨んで、さすがだなと思った」と素直にたたえた。その活躍で五輪枠は残り1枠になったが「1枠うんぬんは考えてない。100%やれば、自ずと自分のものになる」。萩野の復帰ロードは、始まったばかりだ。【益田一弘】

◆東京五輪への道 萩野はリオ五輪個人メドレーで400メートル金、200メートル銀の実績を持つ。通例では、来年4月の日本選手権で<1>日本水連が定める派遣標準記録の突破<2>五輪内定している瀬戸を除く日本人最上位になることが必要だ。