春先の休養から復帰5戦目を迎えた萩野公介(25=ブリヂストン)が、年内ラストチャンスで日本代表候補入りの基準タイムを突破した。得意の200メートル個人メドレーで、日本代表候補入り基準タイム1分59秒23突破を目指して出場。予選から飛ばして1分58秒73。3度目の正直でクリアした。

萩野のリオデジャネイロオリンピック(五輪)金メダル獲得後からの苦闘を振り返る。

◆16年7月 400メートル個人メドレーで4分6秒05で金メダル。リオでは金、銀、銅とメダル3個を獲得。

◆同9月 右ひじ手術を行ってオフは回復に専念。

◆17年1月 東洋大卒業を前に、ブリヂストンと22年3月までの5年契約。

◆同4月 日本選手権400メートル個人メドレーで瀬戸に0秒01差で敗れて2位。

◆同7月 世界選手権ブダペスト大会に出場。個人メドレーは200メートルで銀、400メートルで6位。2種目ともにライバルのケイリシュに敗れる。800メートルリレーでは第1泳者で精彩を欠き、レース後に号泣した。

◆18年4月 年末年始に体調不良。練習が十分でない中で日本選手権に出場。個人メドレーは200メートル、400メートルで2冠も、200メートル自由形は棄権した。

◆同8月 パンパシフィック選手権で個人メドレーは200メートルで銅、400メートルで銀。2種目とも2年連続でケイリシュに敗れる。連戦となったジャカルタ・アジア大会は個人3種目で銀2、銅1と金メダルなし。

◆19年2月 16日のコナミオープン400メートル個人メドレー予選で自己記録より17秒以上も遅い4分23秒66。決勝は棄権。大会後はスペイン高地合宿を回避して国内調整を選択した。

◆同3月 日本選手権欠場を発表。「モチベーションを保てない」として休養期間に入る。7月の選手権韓国大会出場が消滅。

◆同6月 復帰宣言。「東京五輪での目標は、ずっとぶらさずに複数種目での金メダル」と口にした。

◆同8月 W杯東京大会で半年ぶりのレース復帰。「素直にうれしかった」。

◆同9月 シンガー・ソングライターのmiwaと結婚することが明らかに。茨城国体に出場も、日本代表候補入りを逃す。これを受けて、高地合宿よりも国内でのレース経験を選択。10月下旬から約1カ月間で4大会にエントリー。

◆同20日 新潟スプリントで平泳ぎ以外の50メートル種目に出場。6レースを泳ぐ。

◆同25日 短水路(25メートルプール)日本選手権200メートル個人メドレーで優勝。得意種目での復帰後初Vに「力は出し切った。1番がとれて素直にうれしい」。