日本が1次リーグ突破へ好スタートを切った。南米2位のアルゼンチンと対戦した日本は、堅い守りで24-20と快勝。東京五輪に向けて強さを見せつけた。永田しおり主将(32=オムロン)はチームを引っ張り、攻守に活躍。16年の熊本地震で甚大な被害に見舞われた「第2の故郷」のファンからパワーをもらい、復興をアピールした。

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後半8分過ぎ、ミスによる失点で3点差に詰め寄られる嫌な流れを断ち切るように、永田主将が17-13とするゴールを決めた。満員9100人の声援に押されながらチームを鼓舞。守備の要として声をかけ続け、キルケリー監督が「負けたら厳しい」と話した初戦でチームを勝利に導いた。

「熊本のファンからパワーをもらった。幸せです」と言った。大会直前、原希美主将(28)が右膝を負傷して離脱。副将の永田が主将を任された。「今まで通りに」と話したが、重圧はあったはず。この日も初戦で緊張するチームメートに原のように「スマイル、スマイル」と声をかけた。

16年3月にリオデジャネイロ五輪予選で敗れ、引退も考えた。しかし、周囲の勧めもあって翻意。20年東京五輪とともに、19年に熊本での世界選手権開催が決まっていたからだ。06年に福岡女子商高から山鹿市のオムロンに加入。第2の故郷での大会を「最後の世界選手権に」と決めた。

直後の4月に熊本地震があった。山鹿市は被害が少なかったが、体育館は使えず1週間は練習もできなかった。甚大な被害、被災者の姿。「ボランティアに行きたかったけれど、余震があって…」と振り返った。「私にできるのはハンドボールだけ。それで、復興の力になりたい」。子どもたちに競技の楽しさを伝え、被災者を元気づけた。今大会は、その集大成になる。

「震災復興」は、大きなテーマ。開会式のあいさつにも登場したし、会場には地震関連の展示もある。大会テーマ曲は八代亜紀、タイムアウトの時は水前寺清子と森高千里と県出身者をアピールするなど「熊本推し」は徹底している。もっとも、最高の発信は日本の勝利だ。「プレーで熊本に恩返しをしたい」。永田主将は初戦快勝にも気を緩めることなく言い切った。【荻島弘一】

◆ハンドボール女子世界選手権 1957年に第1回が行われ、現在は2年に1回開催。今大会は参加24チームが4組に分かれて1次リーグを行い、各上位3チームが2次リーグ進出。1次リーグの成績を持ち越して、各上位2チームが準決勝に進む。過去の優勝はロシアが4回で最多、ノルウェー、ソ連、東ドイツが3回で続く。日本での世界選手権開催は、97年に欧州以外で初開催となった男子の熊本大会以来2回目。