京産大の大西健監督(69)が、涙で47年間の監督人生に終止符を打った。

強力FWを看板にする日大とのスクラム対決。73年の就任当時は3部リーグだったチームを関西の強豪にまで育てた背景には、徹底的にFW戦にこだわってきた歴史があった。集大成は、意地と意地のぶつかり合いになった。スクラムで優位に立ち、日大は早くボールを出さざるを得ない状況にまで追い込んだ。だが、そこからの守備に荒さが目立ち、わずか1トライ及ばなかった。

あまりにも早すぎる幕切れになった。ノーサイドを聞いた大西監督に涙はない。笑みさえ浮かべていた。だが、17年秋の関西リーグ戦で頸椎(けいつい)損傷の重症を負った当時の主将で、今でも車椅子生活を送る中川将弥さん(23)が号泣すると、涙がにじんだ。彼は学生コーチとしてベンチ入りしていた。そして問題児だった留学生のNO8ファカイが、子供のように泣きじゃくるのを見ると、こらえきれなくなった。最後は全員が、声を上げて泣いた。

「47年間の監督人生に何ひとつ悔いはない。ありがとう。お前たちに感謝している」

円陣ではそう言葉をかけた。

プロップの田倉政憲、CTB吉田明、SO広瀬佳司、WTB大畑大介、現在FWコーチを務める伊藤鐘史、SH田中史朗ら多くの日本代表を輩出。大学ラグビー界では67年間明大を率いた北島忠治氏(故人)に続くほどの長い年月を過ごしたが、大学選手権は7度の4強が最高成績。優勝には1度も届かなかった。それでも大西監督は「日本一になるために最大の努力をする。そこに意義がある。そういう意味では、私の監督人生に後悔はありません」。子供はなく、選手を「息子」と呼んで愛情を注いできた。そんな監督だった。

たたき上げの精神で座右の銘は「努力は才能を陵駕(りょうが)する」-。

京産大のエース番号は、スクラムの軸となる3番。この日、その番号を背負った寺脇駿(4年)は日本航空石川高時代、控え選手だった。厳しい練習で成長し、大学ラグビー界を代表するプロップになった。来春、プロ契約でサニックス入りする寺脇は「何も強みがなかった僕に、長所を身に付けてくれたのが大西先生でした。京産大のプライドとして、責任を果たしたかった。試合には負けましたが、スクラムでは負けなかった」と涙を拭った。

無名の選手に日本一という夢を抱かせ、ひたむきに走り続けてきた47年間。その最後は、会場の観衆が総立ちになり「大西! 大西!」の大合唱で見送られた。