毎週火曜の新企画「東京五輪がやってくる」。第3回は、競泳男子平泳ぎで五輪2大会連続2冠の北島康介氏(37)。

プロとアマの境があいまいになったスポーツ界で、東京五輪後はどんな地平が広がるのか。自らの名を冠した「KOSUKE KITAJIMA CUP」(24~26日、東京辰巳国際水泳場)を、競泳における国内賞金大会の先駆けとした理由は何か。日本競泳界のプロ1号選手でもあるレジェンドが未来を語った。【取材・構成=益田一弘】

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競泳界に、新しい波が押し寄せている。海外で賞金大会が本格化。4月の日本選手権も賞金大会となる。変化は確実に訪れている。

北島氏 ありじゃないかな。新しいこと、トップ選手が思うことが大きくなって、具現化されている。トップに還元して、ジュニアに夢を与える。水泳のあり方が幅広くなることが大切だと思う。これまで水泳の普及、競技力向上に尽力してくれた人がいる。その気持ちは大事にしたい。ただ現代のスポーツにおいて、活躍する選手がそれだけの対価がもらえることに憧れを抱くことも事実。少子化の中で選手への還元度をもう少し高くしないと、水泳はなかなか生き残れない。

水泳のプロ1号。「北島杯」は、18年11月の前回大会から賞金をつけた。国内賞金大会の先駆け。賛否両論を覚悟の上でスタートして男女MVPに50万円ずつを設定。今年で2大会連続の取り組みとなった。

北島氏 1大会の最優秀選手に賞金が出ることは、当たり前になっていい。今はプロとアマチュアの境があいまい。かつての社会人スイマーとは違う。今のトップ選手はプロといえばプロでしょう。ただ選手は小さいころから、プロに近い環境や知識を持って、競技に取り組んでない。だから見えない壁がある。お金を口に出しちゃいけないのかなと。賞金自体は微々たるものかもしれないが、僕はスポンサーに「選手にきちんと対価を払いたい」と説明している。そんな大会があってもいいと思った。

もちろん五輪にはかけがえのない価値がある。それは、日本選手権に賞金がついても決して変わらない。

北島氏 五輪で金メダルとりたい、あの舞台で活躍したいという選手の気持ちは変わらない。日本選手権には五輪代表がかかる「大義」がある。競泳は記録更新型の競技だから自己を高める面もある。プロの選手を育てたいわけじゃない。

ただ選手がさらに競技に集中できる環境を整えることができるのはないか、と感じている部分もある。

北島氏 賞金という付加価値をつけることでよりよい環境でトレーニングできるようになる。五輪イヤーの1大会だけで終わらないように何が必要か考えている。これは金額うんぬんじゃない。賞金が出ることによって、競技に対する社会の見方や価値観も変わる。

56年ぶりの自国開催。このビッグイベントの先にどんな未来を望むだろうか。

北島氏 今は4年に1度、五輪という定義でしか、ものの尺度がない。僕も16年4月に五輪に出られないから引退した。その区切りはある意味で残酷。もう少し先をみられる水泳界であればいい。僕自身は、賞金大会があるからやめないで続ける、という考えになったかどうかわからない。ただ五輪という尺度でなく、「水泳選手」の社会的地位も上がるといい。個人の名前ではなく「水泳選手」という価値。トップで活躍したい、と水泳を選んでくれる子供たちが「あきらめないでもまだ先があるんだ」と思える環境を提示していきたい。新しいファンを狙った取り組みもいい。選手を支える企業にとってのメリットも考えるべきだろう。僕1人ではどうにもならないが、若い世代が声を上げて引っ張っていきたい。

◆北島康介(きたじま・こうすけ)1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。5歳から東京SCで競技を始める。中2から平井伯昌コーチに師事。東京・本郷高-日体大。平泳ぎで00年シドニーから12年ロンドンまで4大会五輪連続出場。03年に日本水泳界で初めてプロ活動が認められる。04年アテネ、08年北京で100メートル、200メートルと2大会連続2冠を達成。五輪は金4、銀1、銅2。世界選手権は金3、銀4、銅5。16年4月にリオデジャネイロ五輪への道が断たれて、現役を引退。18年6月に東京都水泳協会副会長に就任した。

◆北島康介杯 毎年1月に開催。北島氏が現役だった15年1月が第1回。当初は東京都選手権に「北島康介杯」の冠がついた。第5回大会は東京辰巳国際水泳場が改修される影響で、2カ月前倒しの18年11月に開催。同大会から賞金がつき、さらに東京都選手権とは別の大会となり、東京都以外の選手も決勝進出が可能になった。第6回大会は20年1月24~26日、東京辰巳国際水泳場で開催。瀬戸大也、松元克央、渡辺一平、大橋悠依の世界選手権メダリスト4人を含めて、トップ選手らが出場予定。観戦は無料。