ラグビー日本代表のジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC、50)が、日刊スポーツの電話インタビューに応じ、日本のラグビーファンへメッセージを送った。新型コロナウイルスの感染拡大により、世界のスポーツがストップ。W杯で歴史を塗り替えた日本代表も、6、7月に予定されていたテストマッチが困難な状況となっている。母国ニュージーランド・ダニーデンの自宅でゴールの見えない日々を過ごす指揮官が、思いを語った。【取材・構成=奥山将志】
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世界からラグビー、スポーツの音が消えた。4月。ウイルスの感染拡大がなければ、活況が続いていたトップリーグ(TL)を視察し、23年W杯フランス大会に向け、新たなスタートを切る日本代表候補の選考に入っているはずだった。TLは第6節(2月22、23日)を最後に打ち切られ、3月中旬には、日本チームのサンウルブズが参戦している世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」の中断も決まった。
ジョセフHC 多くの人が、先の見えない不安な日々を過ごしている。ニュージーランド、日本だけでなく、世界のラグビーが止まった。当たり前にあった日常がいかに素晴らしいものだったのかを痛感しつつ、今の状況に胸が痛くなる。
ニュージーランドでは都市封鎖、全土で外出を制限する措置が取られている。
ジョセフHC 今は家族との時間を大切にしながら、家の中で自転車を使ったトレーニングをしたり、散歩をしたりしている。当然ながら、日本代表の強化計画も大きな変更を強いられることになる。日本との連絡を密に取り、この状況で出来る策を探っている。
半年前のW杯-。ジョセフHCが作りあげた日本代表は強豪アイルランド、スコットランドを撃破し、史上初のベスト8進出を果たした。合言葉の「ONE TEAM」は流行語となり、日本列島はラグビー一色に染まった。大会後、ニュージーランド代表の次期監督候補にも名前が挙がる中、日本協会からのオファーに応え、契約延長を決断。新たに4年契約を結んだ。現役時代に7年間プレーした日本は、母国と並ぶ特別な存在だ。
ジョセフHC 自分にとって、日本はチャンスを与えてくれた特別な場所。今、ニュージーランドも日本も多くの被害が出ている。だが、1人の人間としてやれることは決して多くはない。できるのは、耐えること、収束した時に跳び上がるための力を蓄えること。それが今は重要だと思う。
ラグビー大国ニュージーランドで生まれ、オールブラックスの一員としてW杯準優勝も経験した。ラグビーで人生を切り開き、多くの感動を与えてきたからこそ、スポーツの持つ力を信じている。
ジョセフHC ニュージーランドの国民にとってラグビーは生活の一部。それが急に奪われ、子どもたちも大人も困惑している。日本も昨年のW杯で、ラグビーの力が多くの人に伝わったと思う。現在の状況から抜け出し、再び歩み始めた時、ラグビーがニュージーランドと同じように、日本国民の背中を後押す存在になることを願っている。
W杯の1次リーグ第2戦の大金星を挙げたアイルランド戦。試合前のミーティングで、ジョセフHCは、「信じること」の重要性を1つの詩に込め、ピッチに選手を送り出した。
「誰も勝てると思っていない- 誰も接戦になるとさえ思っていない- だが、誰もどれだけハードワークをしてきたか、どれくらいの犠牲を払ってきたかを知らない- やるべきことは分かっている」
指導者として、スーパーラグビーでチームを優勝に導き、W杯では世界を驚かせた。苦しい局面を乗り越えられる組織は、強力な個の力ではなく、強固なつながりを持った集団であるという揺るぎない信念がある。ラグビーの持つ本質ともいえるその考えは、今、日本のラグビーファンへ伝えたいメッセージでもある。
ジョセフHC ラグビーの試合では、苦しい時間に、自分勝手な行動を取る選手が1人でもいれば、勝つチャンスは大きく減る。大切なのは規律を守ること。そして、全員が任された仕事をやりきることだ。今は苦しい時。ルールを守り、人と人とのつながりを意識することが、この苦境を乗り越える一歩になると思っている。再び世界に笑顔が戻ること、日本でラグビーができる日を待っている。
○…日本ラグビー協会の岩渕専務理事は6月27日にウェールズ、7月4、11日にイングランドとの対戦が組まれている日本代表戦について、「簡単にできる状況ではない。安全、健康を第一に考え、ワールドラグビー(WR)の方向性と歩調を合わせたい」との見解を示している。選手も十分なトレーニングをできていない状況とあり、日本代表の藤井強化委員長も「安全が第一。現実的には難しいと思う」とした。日本代表は、11月に欧州でスコットランド、アイルランドとの対戦を予定している。
◆ジェイミー・ジョセフ 1969年11月21日、ニュージーランド(NZ)生まれ。オタゴ大卒。NZ代表20キャップで、95年W杯準優勝。95~02年はサニックスに所属。日本代表は9キャップで、99年W杯に出場。引退後の11~16年8月までスーパーラグビーのハイランダーズでHCを務め、15年優勝。16年9月に日本代表HCに就任。19年W杯で史上初のベスト8進出。現役時代のポジションはフランカー、NO8。196センチ、110キロ。家族は妻と1男3女。