高校ラグビーで全国制覇4度の伏見工は全日制が京都工学院となり、現在は定時制だけが残る。80年度に初の全国制覇を達成した時のメンバーで元監督の高崎利明(58)がこの春、伏見工の校長に着任。4年後には校名が消滅するため、最後の使命を託された。「京都一のワル」と呼ばれ、伏見工の草創期を支えた山本清悟(59)は、奈良朱雀高で監督を務める。来春に定年を迎えるが、再雇用で指導を続ける。ドラマ「スクール☆ウォーズ」のそれから-。2人の教師の「今」を追った。

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グラウンドから、かつての活気が消えていた。夕焼けを背に、泥だらけでタックルを繰り返した男たち。伏見工最後のラグビー部員は3年前に卒業した。しばらく使われていない土からは雑草が生えていた。それでもラグビーポールは立ったままだった。スーツ姿の高崎は「変わっていないなぁ…」と懐かしい景色に目をやり、覚悟を口にした。

「定年まで3年もしくは(制度が変われば)4年。伏見の名を世間に広めた1人として、その学校を閉じるのも1つの使命になる」

新型コロナウイルスに揺れる4月8日、私服姿の25人を出迎えた。18年に全日制最後の卒業生を送り出した場所で、定時制の入学式が行われた。来春には学校統合で京都奏和(そうわ)が誕生。4年後に「伏見工」の名は完全になくなる。壇上から最後の新入生と目を合わせ、訴えかけた。

「4月になり、また新しい夢が湧きました。今年入学した君たち全員に、卒業証書を手渡すことです」

この春まで全日制の伏見工と洛陽工の統合で生まれた京都工学院で副校長を務めた。別の場所に建てられた真新しい校舎で、定年を迎えるはずだった。伏見工定時制の校長を打診されると、最後は腹をくくった。

「さまざまな事情を抱えた子を、社会の担い手にしてあげないといけない」

40年前、伏見工の3年生SHだった。入学後に出会ったのが、校内暴力全盛の時代にラグビー部を率いた山口良治。道から外れる生徒を放っておけない指導者の下で、中学の京都府選抜からハーフ団を組んだSO平尾誠二(故人)らと日本一を目指した。81年1月7日、大阪・花園ラグビー場で大工大高(現常翔学園)を7-3で破って全国高校大会初優勝。高崎は肩を亜脱臼しながらパスを投げ、平尾は太ももを痛めた脚で走った。山口に愛情を注がれ、仲間と手を取り合ったことで、地元で敬遠された学校は誇りを手に入れた。

その財産は今の礎になった。日体大卒業後に市内の中学で8年間勤務。生徒はシンナーを吸い、ある時はガラスが80枚割れていた。

「その子たちを何とかしたい毎日だった。あの頃のように、もう1度、教育者として挑戦したい」

今、定時制に通う生徒の事情は複雑になっている。不登校、引きこもり、発達障がい…。どこか自分自身に負い目を感じ、生きている子どもたちも目につく。かつて向き合ってきたヤンチャな生徒が減り、その形が時代と共に変わっても、大人の「愛情」は必要だ。高崎は山口から伏見工監督を受け継ぎ、花園を2度制した。指導者として19年W杯日本代表SH田中史朗(キヤノン)らを送り出した。何よりも大切にしたのが人間教育だった。ラグビーからの学びは、生徒だけでなく教員に対しても通じる。

「定時制は『裏方』じゃない。だから、もっと日の当たるところへ出していきたい。教員も性格の違いや個性の違いがあるけれど、良さを出し合って進んでいく。ラグビーと同じです」

最近は帰宅が午後11時を過ぎ、来春開校する京都奏和の準備室の業務が午前9時に始まる。京都工学院ラグビー部GMも兼務する58歳は、最後の任務に全力で向き合っている。

「全日制がなくなって、伏見は終わりじゃない。確実にバトンを次の学校へつなぐ。さまざまな生徒たちが、社会に出て行くモデル校にしないといけない」

静かな春も、懐かしい校舎の一部は建て替えが進んでいた。山口は77歳となり、平尾は天国へ旅立った。伏見工ラグビー部の合言葉「信は力なり」-。受け継がれてきた信念を胸に刻み、1つの時代を締めくくる。(敬称略)【松本航】