新型コロナウイルス感染拡大で東京オリンピック(五輪)は延期となった。選手が来夏の祭典で獲得を目指す五輪メダル。各競技でどのような歴史が刻まれてきたのか。「日本の初メダル」をひもとく。

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■体操

1896年の第1回アテネ大会から採用された伝統種目。日本の初メダルは1952年のヘルシンキ大会にさかのぼる。

主役は主将を務めた竹本正男。幻の40年東京五輪の代表は、戦火を越えて体操界に復帰。6年のブランクを乗り越えて全日本選手権を6連覇し、32歳で初めて出場した夢舞台だった。

現在のように団体総合、個人総合、種目別は分かれておらず、規定と自由種目の合計点で団体の順位が決まり、各種目の上位者に個人競技としてメダルが贈られる方式。規定が7位だった日本は、美技続出の自由演技で総合5位と躍進。けん引したのが竹本だった。

日本の異名は「ゴムマリ」。2種目目の跳馬で、竹本の演技には大きな拍手が送られた。19・15点は体操王国ソ連のチュカーリンに続く銀メダル。日本としても第2次世界大戦の敗戦国として参加がかなわず、16年ぶりの五輪。悔しさもバネにして、ついに出場かなった夢舞台で躍動した。

最終の徒手(床運動)では、跳馬で竹本に続く銅メダルの上迫忠夫が気を吐いた。冒頭で大きく跳ね上がって観衆のどよめきを誘うと、19・15点で銀メダル。島根県浜田中学(現浜田高)、日体大で竹本の2学年後輩の30歳は、スポーツ万能で剣道三段、柔道、水泳、スキー、テニスなどでも鳴らし、当時の日本スポーツ界では、全スポーツ選手権をやれば上迫が優勝すると言われる選手だった。

■新体操

女子だけの種目で、個人総合は1984年ロサンゼルス大会から、団体は1996年アトランタ大会から実施された。これまで、日本はどちらの種目でも表彰台はない。

個人では84年大会では現在は強化本部長を担う山崎浩子が8位入賞、団体では初参加の00年シドニー五輪で5位がそれぞれ最高位となる。

「フェアリージャパンPOLA」の名称も浸透し始めた日本代表で、来年の東京五輪では金メダルの期待がかかるのが団体総合になる。昨秋の世界選手権では大きな失敗なく、団体総合で44年ぶりの銀、種目別ボールで史上初の金を手にした。絶対女王のロシアに肉薄しており、初の表彰台が頂点という期待もかかる。

■トランポリン

00年のシドニー五輪から採用され、日本は男女ともメダリストは生まれていない。

男子は“あと1歩”が続いている。08年北京大会では外村哲也、12年ロンドン大会では伊藤正樹、16年リオデジャネイロ大会では棟朝銀河がいずれも4位となった。

女子は女子はシドニー大会の丸山章子(旧姓古)の6位入賞が最高位だが、丸山の教え子の森ひかるが昨年の世界選手権で日本市場初の優勝を果たし、本番では金メダルの期待がかかっている。