新潟市西区にある体操クラブ「ジムナスティック新潟」が、練習を1日から本格的に再開した。幼児から高校生までを対象に、年代別の4つの選手コースと5クラスの体操教室がある。クラブが新型コロナウイルス感染拡大にどう対応し、練習再開までこぎつけたのか。渡辺進弥代表(48)に聞いた。

クラブの玄関に入ると靴底を、アルコールを染み込ませたシートで消毒。次に消毒用アルコールで両手を洗い、検温。さらに「せきはないか」「のどの痛みはないか」など、チェックシート7項目の質問に答え、該当項目が1つでもあれば練習に参加することはできない。こうした細心の新型コロナウイルス感染防止策を講じた上で練習は再開された。

「新型コロナウイルスの感染から、子どもたちを守らなければならなかった」(渡辺代表)。4月16日に発令された全国への緊急事態宣言拡大に伴い、同18日から練習を停止。体操は“継続”が重要な競技だけに、ブランクの痛手は大きかった。渡辺代表は、自宅待機の選手に倒立やセルフチェックシートによる体重維持などの課題を出したが「(選手の)筋力は落ちていた」と話す。

新潟県の緊急事態宣言解除は5月14日。クラブは同21日から活動を一部再開した。5クラスある教室で選手の運動不足やストレスを解消。“3密”回避のため、1回のレッスンの受講人数を最多8人に抑え、使用した器具などをスタッフが入念にアルコール消毒するためにレッスンとレッスンの間隔を30分空けた。教室に通う川村莉心(りこ)さん(関屋小1年)は「運動するのが楽しい」と明るい笑顔を見せた。

夏の全国大会は中学、高校ともに中止。それでも、選手コースに所属する27人の体操にかける気持ちは衰えていない。渡辺代表の長男でクラブOBの進太郎君(京都・洛南1年)は「大会はなくなったけれど、その間、ボクたちがパワーアップすればいい」と語り、その言葉は代表の支えとなっている。新型コロナウイルス感染拡大防止を図りながら“選手育成”という課題に向け、クラブのスタッフとともに渡辺代表は奮闘していく。【涌井幹雄】

◆渡辺進弥(わたなべ・しんや)1971年(昭46)9月27日生まれ、新潟市出身。新潟江南-日体大-紀陽銀行。体操を始めたのは山潟小4年から。94年世界選手権(オーストラリア・ブリスベン)日本代表。翌95年の鯖江大会は補欠。「京都ジャンピング」所属時に、指導するおもしろさに目覚める。「ジムナスティック新潟」は07年9月オープン。170センチ、80キロ。