フィギュアスケートの情報を毎日発信しています。


今日のイベント

【大会】

中四国九州選手権

▼会場

岡山国際スケートリンク

※無観客開催

▼種目

ノービスA男子(午前10時半開始)

女子フリー(正午開始)

ジュニア男子フリー(午後1時50分開始)

男子フリー(同3時半開始)


【大会】

中部選手権

▼会場

愛知・邦和スポーツランド

※無観客開催

▼種目

ジュニア女子フリー(午前10時半開始)

女子フリー(午後2時25分開始)


今日の誕生日

エルンスト・バイアー(1905年)→Pick Up!


Pick Up! エルンスト・バイアー

ドイツのシングル、ペアで功績を残した男性選手は、115年前にベルリンで生まれました。

まず取り組んだのはシングルでした。五輪初出場の32年レークプラシッド五輪では5位。当時は金メダルを獲得したカール・シェーファー(オーストリア)の黄金期で、シェーファーは五輪2連覇、世界選手権7連覇を果たすことになります。

バイアーにとっての大勝負は、4年後の36年ガルミッシュパルテンキルヘン五輪。自国開催でした。レークプラシッド五輪後に女性のマキシ・ヘルバーとペアを結成。欧州選手権を制するなど実力をつけ、2度目の五輪はシングル、ペアの両方に出場することになりました。

迎えた五輪本番。シングルではシェーファーに次ぐ銀メダル、ペアでは金メダルを獲得しました。ペアのメダル獲得から24時間後に男子フリーに出場するなど、ハードなスケジュールで結果を残しました。

1940年にはヘルパーと結婚。戦後は建築家としても活躍し、ベルリンの地下鉄の駅を設計したといいます。01年7月8月に95歳で死去。世界殿堂入りも果たすなど、歴史に名を残したスケーターです。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2019年12月21日
2019年12月21日

19年12月、フィギュアスケート全日本選手権・女子フリーの演技をする川畑和愛。


今日の出来事

安藤美姫が3季ぶり復帰戦で2位(2013年)

<ネーベルホルン杯>◇27日◇ドイツ・オーベルストドルフ◇女子フリー

3度目の五輪へ第1関門突破だ! 元世界女王の安藤美姫(25=新横浜プリンスク)が、4月の女児出産を経て3季ぶりの復帰戦で2位と躍動した。ショートプログラム(SP)2位から、フリーは103・07点で合計162・86点。3月の世界選手権なら13位相当の得点で、ソチ五輪出場に必要な最低技術点(SP20点、フリー36点)をともに突破した。

◇ ◇ ◇

9年ぶりにリンクに降り立った「火の鳥」はあえいでいた。息も絶え絶えに“羽”を動かした4分9秒。炎が消えそうな寸前でフィニッシュにたどり着くと、安藤は大きく息を吸い込んだ。もう力は残っていない。4回転トーループを決めて16歳で全日本選手権を初制覇した04年と同じ、ストラビンスキー作曲「火の鳥」。人生の曲折を経験した25歳は「羽ばたくというよりも、曲に引っ張ってもらった」と感謝。本当に羽がもげそうだった。

出産後、フリー曲を通して流して、練習したことはなかった。出産を経験し、授乳もする体では1時間の練習が限界だった。陸上の800メートル走に匹敵するとされる過酷なフリーは、ぶっつけ本番で滑っていた。

直前の6分間練習では、最後に跳んだ3回転ルッツで転倒。そんな悪い印象を持ち演技順を待つのも初経験だった。「緊張より不安で仕方なかった」。だから、16歳でも演じた曲の調べが大きかった。

4回転も跳べたころ。「ジャンプの美姫」と呼ばれていたころ。「強気というか、プラス思考になった」。冒頭の3回転ルッツで体をよじりながら何とか降りると、できる全力を尽くす。「曲にも遅れて、スピンもレベルが取れていない」。後半のルッツもサルコーに難易度を落とし「恥ずかしい演技」と照れたが、いまできる全力。「あの演技で100点を超えるのはビックリ。『頑張れ』というメッセージだと思っている」と正直に受け止めた。

今大会、何十回という抱擁を交わした。会場では選手、関係者から「お帰り、ミキ」の嵐だった。「『ママなんでしょ』と言われながら、リンクでは選手として接してくれる。世界にこんな仲間がいる」。対等に競ってくれる仲間がうれしかった。「練習をしていけば、またトップの選手たちと戦えるようになる」。同時に、より多くの仲間と戦いたいと思えた。

そして気持ちは、一気に前へと進む。「自己ベストを更新したい」「全日本では(表彰)台に立ちたい」。さらに「今の自分の状況だと(五輪には)優勝しないと出してもらえないと(日本連盟から)言われている」とソチまで見据えた。今度は曲を引っ張って、羽ばたくように。ママになった「火の鳥」の炎は、勢いを増していく。