国内ブレイクダンスの先駆者的な存在に当たるタレント、風見しんご(58)も、2024年パリオリンピック(五輪)で追加種目に採用されたことに大興奮だった。

14日に川崎市内で行われた日本ダンススポーツ連盟(JDSF)の会見に出席。日本選手権優勝チームと、いまだ衰えない華麗な身のこなしを披露し、報道陣を湧かせた。「僕がブレイキン(ブレイクダンス)を始めましたが、まさか五輪の舞台で踊れるようになるとは思っていませんでした」。国内ブレイクダンスの黎明(れいめい)期を知る58歳は、この日が来るのをひときわ心待ちにしていた。

風見とブレイクダンスとの出会いは、米国の路上だった。37年前、ニューヨークの路上に段ボールを広げてステージを作り、その上でダンスに興じる子どもたちを見た。背中でクルクル回るパフォーマンスに興味を持った。「今のようにユーチューブとか参考にする映像がなかったので、子どもたちから教わりました」。その後にリリースし、大ヒットした「涙のtake a chance」(1984年)の振り付けの中には、ブレイクダンスを取り入れるなど時代の先端を行った。

ただ、日本国内では当初、周囲の反応はいまいちだった。そんな時に支えとなったのは、萩本欽一の言葉だった。「お前何がやりたいんだ?でも、やってみな」「この踊りが子どもたちにもマネできるようにしなきゃ。子どもたちが応援してもらえるようにしなきゃ」。師が掛けてくれた言葉の数々に感謝を惜しまず、これからも競技普及に向けて力と存在感を発揮する意気込みを見せた。【平山連】