明治大学アメリカンフットボール部は6日、野崎和男総監督が死去したと発表した。1月27日午後5時30分、心不全のため。88歳だった。通夜・告別式は近親者で密葬を済ませている。

野崎総監督は明大でフットボールを始め、QBとしてプレー。卒業後の61年に母校コーチ、62年に監督に就任し、68年に20年ぶりで関東リーグを制覇した。97年まで35年間監督を務め、甲子園ボウルには4度出場に導いた。いずれも関学大に敗れたが、68年と85年は2点差と大学日本一へあと1歩だった。

ライバルだった日大の篠竹監督とともに、理論派として全日本、全関東の監督、コーチなどを歴任した。約50年にわたり、数多くの他チームも指導するなど普及に貢献し、20年に殿堂入りしている。

明大は早大、立大とともに34年創部のルーツ校。野崎総監督は低迷する時代に就任し、少数精鋭で合理性を伝統にスピードあるマルチブル攻撃を武器としていた。特にオプション攻撃を中心としたランは、現在もチームの基盤となっている。