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今日の誕生日

クルト・オッペルト(1932年)

オーストリアの男子ペア選手。1956年コルティナダンペッツォ大会金メダル、同年世界選手権金メダル。シングルでも1952年オスロ五輪で11位。

アレクセイ・ヤグディン(1980)→Pick Up!


Pick Up! アレクセイ・ヤグディン

「氷上の貴公子」が41歳になりました。2001-2002年シーズン、同一年度にゴールデンスラム(GPファイナル、欧州選手権、五輪、世界選手権)を制した初の男子選手です。

4歳でスケートを始め、13歳までには6種類の3回転ジャンプを体得していたそうです。ソ連崩壊後はミシン・コーチに師事しますが、その関係は難しい面もありました。

98年長野五輪の一場面が残っています。SP4位ながら、体調を崩して点滴を受けながら臨んだフリー。ふらふらになりながらも滑りきり5位に入賞しましたが、キスアンドクライでの出来事がその後を決定付けます。恩師は得点が表示されると、怒りの表情で先に席を立ちました。

この直後の世界選手権では、男子史上2番目の若さ(18歳15日)で男子シングルの王座に就きましたが、溝は深まるばかり。最終的には同年夏からタラソワコーチの元に移ることになりました。そこでジャンプだけではない、表現面を伸ばしていきました。

ソルトレークシティー五輪エキシビション
ソルトレークシティー五輪エキシビション

ミシンコーチのまな弟子プルシェンコとの世界一を懸けた争いは2002年ソルトレークシティ五輪まで続きます。98年から世界選手権は3連覇しましたが、前年の世界選手権ではプルシェンコの後塵(こうじん)を拝します。そして迎えた2度目の五輪。

ショートプログラムで首位発進を決めると、映画「仮面の男」を演じたフリーは、さらに完璧な演技を披露しました。ヤグディンは、粉雪のように舞い、白鳥のように羽ばたき「氷上の芸術」をつくり上げました。「何が起きたかよく覚えていないよ。最高の夢の中にいるようだ」。4回転も含んだプログラムを終えると、金メダルを確信したかのように両手で顔を覆い、氷上にひざまずくと口づけを交わしました。

演技点で4人の審判員が6点満点。4年前と異なり、キスアンドクライでは歓喜の流れる涙を抑えきれません。技術点も、すべて5・9と高得点で、「この4年間は、本当に苦しいことが多かった」と振り返りました。「ただのジャンパーだった僕を、コーチのタラソワが芸術家に変えてくれた」と感謝も述べました。

03年にプロに転向しました。06年には日本開催のジャパンオープンに出場しています。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2020年10月9日
2020年10月9日

20年10月9日、2020東京フィギュアスケート選手権・ジュニア女子SPの演技をする横谷杏林。


今日の出来事

伊藤みどりが世界選手権で日本人初の優勝(1989年)

<1989年3月20日の紙面>
<1989年3月20日の紙面>