1964年(昭39)、アジア初のオリンピックが東京で開催され、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームが金メダルを獲得した。チーム12人のうち10人の選手と大松監督が所属していたのがニチボー貝塚。「鬼」と呼ばれた大松のもと、258連勝という大記録を残した。
日刊スポーツでは、過去にその足跡を「伝説:258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部」と題した連載で取り上げました。日本のスポーツ史に輝く大記録とその背景を当時の記事で振り返ります。(無料会員登録で読めます)
タイトル
<連載1> 「東洋の魔女」の母体 ニチボー貝塚6年8カ月続いた大記録
<連載2> 鬼の大松の「日本一苦しい練習」に女性社員から抗議殺到
<連載3> 東洋の魔女を生んだ2カ月の海外遠征「あれは東洋の魔法使いだ」
<連載4> 河西主将の驚くべき行動「私事で抜けることは自分で許せなかった」
<連載5> 「回転レシーブ」誕生へ 青あざにナマ傷、壮絶すぎる練習
<連載6> 大松監督が突然の辞意 五輪あと2年、日本バレーに衝撃
<連載7> 日本選抜と「巌流島の決戦」 協会が育て上げた最強の“敵”と五輪争い
<連載8> 「王者は敗れるためにある」ニチボー貝塚258連勝でストップ
<連載9> 長嶋も王も注目した東京の魔女“男には無理”鶴岡一人が驚いた猛練習