7日付の朝日新聞に掲載された2020年東京五輪パラリンピック大会組織委員会、橋本聖子会長のインタビューを読んだ。「真夏にしか五輪をやれないのは無理」、「五輪などで一番前に出るのはスポーツ団体であるべき」などの言葉は、どれも正しいが、現実はそうはならなかった。

わかりきったことを、今頃言うのかという声もある。しかし橋本会長は、そんなことは百も承知。東京大会で変えることは無理と、大会前には分かっていたのだと思う。その上で、そこにはだんまりを決め込み、国民の反対の意思を押し切ってでも開催に踏み切った。政治家だった。

橋本氏は2月に森喜朗前会長から会長職を引き継いだ。都知事、五輪相を含む同大会のトップの中で、アスリートとして五輪を経験しているのは橋本会長だけ。アスリートと政治家のどちらの顔が多くを占めるのかと、ずっと考え、のぞき見をしていた。

3歳でスケートを始め、冬季4回、自転車競技で夏季3回の五輪を経験。30歳で自民党から参院選に出馬し、国会議員になった。96年アトランタ夏季大会では、議員と自転車競技の選手という両立を成し遂げている。

現在57歳ということは、政治家として27年を経験し、競技人生とほぼ同じ長さになったわけだ。数字や勝敗など、明確な結果がすべてのスポーツと、魑魅魍魎(ちみもうりょう)で正解が分からない政治の世界では、大きく異なる。政治での処世術は、橋本会長の歩む道を大きく変えたのかもしれない。

東京五輪の大会経費は約1兆6500億円。その内、大半の約9400億円は国や都の公費が充てられる。無観客で行われたため、チケット収入はなく、赤字は数百億円にも上ると言われる。

組織委は来年6月に解散する予定だが、最後の大仕事は決算だ。その数字をどれだけ透明化できるかが、橋本会長、そして東京五輪の正しい幕引きにもつながる。この大仕事だけは、数字で結果を明確にしてきたアスリート“橋本聖子”であってほしいと思う。【吉松忠弘】