フィギュアスケートの情報を毎日発信しています。

今日の誕生日

佐藤信夫(1942年)→20年Pick Up!(最終項にリンクあり)


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2021年11月14日
2021年11月14日

21年11月14日、NHK杯エキシビションで演技する山本草太(撮影・菅敏)。

あの日のフォトギャラリーはこちら


プレーバック

オリンピック(2002年ソルトレークシティー五輪)

本田武史が4位。メダルは逃すも日本初の入賞

メダルが逃げていった。男子シングルでショートプログラム(SP)2位につけていた本田武史(20=法大)が、自由は4位と伸びず、表彰台にあと1歩の4位となった。最初の4回転で着氷が乱れ、その後のコンビネーションジャンプも3-2回転止まり。それでも日本男子過去最高の8位を大きく上回る同種目初の入賞を遂げた。3月の世界選手権(18~24日、長野)に向けても、はずみとなった。優勝はアレクセイ・ヤグディン(21)2位はエフゲニー・プルシェンコ(19)のロシア勢。竹内洋輔(22=法大)は22位だった。

致命的だった。本田の開始2つ目のジャンプとなる4回転トーループ。着氷の瞬間バランスが崩れ、両足が氷をたたいた。プログラム唯一の4回転ジャンプを成功させられなかった。五輪という最高レベルの舞台では、もう取り返しがつかなかった。

滑り終えると、突き上げた右手で顔を覆った。「メダルには遠いなと思った。その悔しさです。涙なんて出てません」。4人を残してトップ。だが表彰台に届きそうもないことは、本人が一番よく分かっていた。

SPで2位になったものの、優勝候補のプルシェンコ(ロシア)が4位から上昇してくることは計算済みだった。城田憲子監督は「完成度で勝負するプログラム。1つミスをした後に、挽回するジャンプを入れる余地がなかった」と構成上の問題を指摘した。だが、事前に成功率の低い4回転を1種類しか跳ばないことを決めたのは、本田自身だった。

世界と勝負しての4位という成績を、どう評価するか。日本フィギュア界にとっては胸を張れる順位だ。これまでの男子最高位を大幅に上回り、初入賞という歴史的な意味もある。さらに自由演技を2位で迎えたのは、前半4位だったアルベールビル大会銀メダルの伊藤みどりを上回る男女を通じた最高位でもあった。

ある程度の満足感を本田も覚えていた。「SPも自由も大きな失敗なくまとめられた」。ただ順位が確定した後も、自らの評価を決めきれずにいた。「惜しかった」「悔しい」「悪くなかった」。発言は揺れ続けた。

成長の跡は示した。長野大会で15位と惨敗した後、世界的な名コーチでもあるカナダのダグ・リー・コーチのもとで3年間、技を磨いた。「4年たって自分自身が強くなっている」と胸を張った本田には、4年前のひ弱さはどこにも見当たらなかった。

競技終了後、しばらくして携帯電話が鳴った。故郷の母からだった。「来月、家に帰ります」。一瞬、顔が少年に戻った。まだ20歳だ、明日がある。雪辱の舞台は来月、長野で行われる世界選手権だ。

◇実家の両親、涙で拍手送った

福島・郡山の本田の実家では両親が涙で拍手を送った。父清太郎さん(51)母陽子さん(49)は「競技のじゃまをしたくない」とテレビ観戦。「緊張する」と照れ笑いしていた清太郎さんだったが、演技直前は表情が一変。目を閉じて両手を組み、ただ祈った。

演技後は感極まったように顔を覆う息子の姿に、唇を震わせた。順位が確定すると「満点とは言わないけれども95点。でもメダルも欲しかった」と本音もチラリ。フィギュア用の靴でスピードの大会に出場した小学生時代を懐かしみつつ、世界4位にまで成長した息子を誇らしげに見つめた。