秋田市から約110キロ。山形・酒田市から母校の活躍を願う。Vリーグ女子2部(V2)アランマーレ山形・菅原里奈(24)は秋田北3年時の15年、全日本バレーボール高校選手権(春高バレー)に出場した。文武両道を掲げる同校で過ごした3年間を振り返り、八女学院(福岡)、国学院栃木の勝者と6日に対戦する後輩にエールを送った。【取材・構成=相沢孔志】

-母校が4年連続6度目の春高に出場する

インターハイ予選は由利高校に負けてしまったので、春高予選の決勝で勝ったときはうれしかったです。後輩の頑張りは普段から気にして応援しているので、勝った話を聞くとうれしいです。

-秋田北進学の経緯は

自分の2学年上に、後にV1日立で活躍された土井さくらさん(26)がいました。先輩に憧れて入りましたし、スポーツだけではなく勉強も力を入れている学校だったので憧れがありました。

-当時の基本的な1日のスケジュールは

午前7時には学校に着くように通学して1時間くらい朝練習をしていました。8時には教室に行かないといけなくて、それから午後4時くらいまで授業。授業後に5時くらいから8時、遅いときは9時くらいまで練習をしていた記憶があります。

-3年生最後の春高予選はどういう意識で臨んだ

3年生の春高予選は負ければそこで引退。その年のインターハイでは全国の相手に通用できなかったという悔しさがあったので、もう1回全国に挑戦したい気持ちがありました。3年間バレー一筋で頑張っていたので絶対に勝ちたいという気持ちで戦いました。緊張はありましたが、試合をしていてすごく楽しかったです。

-県決勝は由利に勝利。優勝できた要因は

絶対に勝つ! と、3年生の思いが1つになっていました。私の同期は5人いましたが、進学のこともあって春高まで残ったのは4人。引退を決めた3年生もその日の応援に来てくれて全員でまとまって勝つことができました。

-春高では北九州(福岡)との1回戦で敗れた

インターハイと春高は自分たちが力を出せずに終わってしまい悔いが残りました。その経験があったからこそ今までバレーを続けることができたと思います。このままバレーをやめたら後悔すると思って大学でも続けようと思いました。

-自身にとって高校3年間はどのような時間

学校自体が勉強と部活を両立させようという文武両道を掲げていました。監督の戸嶋(幸子)先生から熱心にバレーを指導していただきました。休みはほぼなかったですし、朝練習から夜遅くまで練習に励んだ当時はすごくつらかったこともありましたが、教員の方や親にも迷惑をかけたと思います。たくさんの方々に支えていただいたおかげで、バレーに集中して過ごすことができたと思います。

-大学進学後に秋田北に行く機会は

休みの時に顔を出したりとか、4年生の教育実習は2週間、秋田北にお世話になりました。後輩たちは昔と変わらず勉強も部活も頑張っていました。

-後輩たちに向けて激励のメッセージを

山形代表として昨年のミニ国体の時に秋田代表と練習試合をしました。由利高の選手が多かったですが、秋田北の選手が1人いてその選手と少し話をしました。他の選手たちは教育実習でも重なっていないので面識はありませんが、全国でも勝てる実力はあると思います。緊張もあると思いますが、なかなか出られる舞台ではありません。どこが相手でも自分たちの力を出し切って、楽しんできてください!

◆菅原里奈(すがわら・りな)1997年(平9)3月24日生まれ、秋田市出身。外旭川小4年でバレーボールを始める。外旭川中-秋田北-東海大-アランマーレ山形。20-21シーズンにV2でブロック賞を受賞。174センチ。ポジションはミドルブロッカー。コートネームはリナ。趣味は音楽鑑賞。