スピードスケート男子500メートルの10年バンクーバーオリンピック(五輪)銅メダリストで、元世界記録保持者の加藤条治(37=博慈会)が29日、都内で記者会見を開き、現役引退を表明した。

「本日は私の引退会見ということで、21-22シーズン、北京五輪シーズンを持って現役生活を終わらせていただきたいと思います。ここまでスケートをやってこられたことは幸せ。最高でした」

ちょうど3カ月前、昨年12月29日に行われた北京五輪代表選考会(長野)の男子500メートルで転倒。最下位の25位に終わり、5大会連続の五輪出場が断たれた。レース後に4年後の26年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会も目指すのか聞かれると「無理です」。競技の第一線から退くことを示唆していた。

引退を決断した理由については「大きく2つあります。1つは自分が第一線では戦えなくなった。もう1つは後輩たちの存在。今、世界のトップで戦える後輩たちが出てきた。自分が限界を迎えただけでも(理由としては)十分ですが、後輩たち、今、めちゃくちゃ強いじゃないですか。北京五輪では森重選手が銅メダルを獲得しましたが、それを上回るポテンシャルをみんな持っている。その中に自分が入っていける気がしませんし、日本の短距離は心配ないなと思ったので、自分の居場所がなくなったなと思ったので。それが要因ですね」と、すがすがしく語った。

山形中央高時代に日本の高校生で初めてワールドカップ(W杯)日本代表に選ばれ、通算は国内歴代5位の14勝。17歳だった03年1月のソルトレークシティー大会で34秒88の世界ジュニア新記録をマーク。20歳の05年11月には34秒30の世界記録(ともに当時)を樹立した。

06年トリノ五輪6位。バンクーバー五輪は3位に入り、銀メダルの長島圭一郎とともに表彰台に立った。14年ソチ五輪は5位、18年平昌五輪は6位で4大会すべて入賞を果たした。その後は負傷や手術などで満足に滑れず「19-20年シーズンに引退することも考えたけど、清水宏保さんから『五輪チャレンジまでやった方がいい』と言ってもらって」一線に踏みとどまったエピソードも明かした。

今後は育成、普及、指導など幅広く可能性を模索していくという。【木下淳】