ラグビー日本代表や早大の監督を務め、昨年11月14日に86歳で亡くなった日比野弘さんを囲む会が3日、都内で行われた。

約500人が参加し、元早大監督で日本協会副会長の清宮克幸氏(54)が、日比野さんとの思い出を振り返った。

献花を終え、最後まで会場に残っていた清宮氏が、懐かしそうに切り出した。自身が大阪・茨田高3年だった1985年(昭60)の夏、長野・菅平で行われた日本代表候補合宿での出来事だった。

「100人ぐらいいたのかな。その選手たちに対して、協会の一員として来ていた日比野さんが『私の特技は顔と名前を覚えることです』と笑って話された」

相手はほとんどが初めて見たであろう高校生。清宮氏も「毎年、こう言っているんだろうな」と思ったという。

だが、翌朝の練習で円陣を組むと、驚きの展開が待っていた。日比野さんは「君は○○くん」と次々に名指しで呼び始めたという。

「それが、日比野さんとの(関係の)始まりです」

当時は高校日本代表候補に対し、進学希望先のアンケートが行われていた。早大は清宮氏を含め、志望者はわずか2人。秋の受験に向けては日比野さんから準備の方法も教わったといい、清宮氏は「甘い言葉と、おいしい食べ物をいただきました」とほほえんだ。

早大の主将として大学日本一に輝いた4年時は、日比野ゼミに在籍。卒業論文では早大のラグビーの組み立て方などを記し、のちに、その卒業論文を日比野さんが周りの人に見せていたことを知ったという。

「『優勝するよ』と、話してくれていたそうです」

偉大な先輩との思い出を、懐かしそうに振り返った。【松本航】