14年ソチ、18年平昌オリンピック(五輪)2連覇王者で、今年7月にプロ転向した羽生結弦さん(27)が創設した初の単独アイスショーが全2都市5公演の千秋楽を迎えた。

この八戸では東日本大震災の後も、シニアになってからも練習を重ねてきた。被災地への思いに関する報道陣との一問一答は次の通り。

-「悲愴」の演技説明にもあったが、千秋楽を八戸でやったことの意味は

たまたま会場が空いていなくて、千秋楽が八戸になったというのはあるんですけど、やっぱり自分としては東北で何とかやりたいという気持ちがもちろんありましたし、東北の地でやるのであれば、自分の半生みたいなものを描いている中に3・11があるように、きっと、このショーを見にきてくださっている方々の中に3・11という傷が残っていると思うので、少しでも自分の演技を見て消化したり、逆にそれを思い出して痛んだり。それがいいことなのか悪いことなのかは、ちょっと分からないですけど。少しでも、何かしらの気持ちがともるきっかけとしての演技をしたいなと思いました。

-ゆかりの深い場所。八戸公演や八戸市への思いをあらためて

僕が(2011年)3月に被災をして、アイスリンク仙台が使えなくなってしまった後、東神奈川のリンクで自分の恩師である都築(章一郎)先生にお世話になった後に「八戸の方でも電気とかは使えないけど、滑っていいよ」と言っていただいて、何とかそういう中で滑らせていただきました。

実際に節電の状態でしたし、電気もつけないで。日中だったので換気用に天井をちょっと開けることができるんですけど、その明かりだけでプログラムを作ったりとか、体力トレーニングをさせていただいたりとか。そういう意味でも八戸にはお世話になりました。

そういう地でまた作っていただけたプログラムをできたのはすごく自分にとっても感慨深いものがありましたし、実際に震災があってすぐに作ったプログラムだったので、震災と同い年になるのかな。だからこそ月日がどれだけたったのかということと、あらためて自分自身もこのプログラムに触れることによって、皆さんに触れてもらうことによって、少しでも震災を思い出したり…思い出して苦しんでいただくのは、ちょっと申し訳ないなと思いつつも、それがあるからこそ今があるんだ、と思っていただけるように、そういう演技ができたらなと思って滑らせていただきました。ありがとうございました。僕なんかのために、こうやって集まってくださって。ありがとうございます。頑張ります。本当にうれしいです。皆さんにこうやって集まっていただいて。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました!

(最後に)良いお年を、でいいのかな(笑い)。ありがとうございました!