どん底からはい上がり、パリ切符をつかみ取った。男子日本代表(世界ランキング4位)が、スロベニア(同7位)にストレート勝ちし、2大会連続の五輪出場を決めた。セットカウント3-0勝利のみがこの日の切符獲得条件だったが、その大一番で一気につかんだ。

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天国にささげるパリ切符だった。今季から副将を任されるオポジット西田有志(23=パナソニック)が、大粒の涙をこぼしながらユニホームを掲げた。背番号3。胃がんとの1年以上の闘病の末、今年3月に旅立った年上の友へ、自力五輪を果たし、天を見上げた。

「藤井さんは、いつもコートにいると思っている」

この日も共闘した。31歳の若さで亡くなった21年東京五輪の代表セッター藤井直伸さん。自国舞台で29年ぶりに8強入りし、笑い合った仲。その半年後、昨年2月の診断後もパリを目指していた。治療の副作用に耐えながら練習をやめなかった姿を皆、知っていた。

中でも西田のことを気にかけてくれた。昨年10~11月末、原因不明の体調不良に苦しめられた。発熱、悪寒などでリーグ戦を1カ月ほど欠場。「ちょうど1年前、ずっと病院に通っていた」。そんな西田に、もっと重い自身の病を顧みず、藤井さんは「大丈夫か」と連絡をくれた。「いやいやいや、藤井さんこそ、と思ったけど、すごく助けられた感じがしました。その時だけは、何かめっちゃ元気が出るというか」。心の支えになってくれた恩人だ。

共通の夢はパリ五輪の表彰台。今大会、第2戦で格下エジプトに大逆転負けした時、西田はSNSに先輩の写真を投稿した。宿舎のテレビ。藤井さんの特集が背中を押すように映った。

「藤井さんが一番大切にしていたのは『楽しむこと』。思い出させてくれた」

逆境でも信念を貫けたのは、導いてくれたからだと思う。次の日から4連勝。スロベニア戦もチーム2位の13得点でパリへの道を開き、大会を通しても全6試合に先発して計94得点を挙げた。石川主将の93得点、高橋藍の90得点を上回る成績で最初の約束を守った。

ただ、満足したら怒られるだろう。次は男子52年ぶりとなるメダルを目指す、藤井さんと。【勝部晃多】

 

○…藤井さんへの感謝があふれた。同じセッターの関田は涙で声を震わせ「藤井さんがいたかった場所に自分も立って、頑張ろうと思って戦った結果」。高橋藍も「勝った瞬間、藤井選手の顔が思い浮かんだ。味方でいてくれて背中を押してくれた」と思いをはせた。ブラン監督も「彼のような素晴らしい選手に出会ったのは初めての経験だった。そういう素晴らしい選手だったから、試合後に彼のユニホームを出せたことは、うれしいことでした。今日のように喜びを分かち合えた時に彼を思い出した。皆さんに彼の意思を示すことができたのは素晴らしいこと」とかみしめた。