どん底からはい上がり、パリ切符をつかみ取った。男子日本代表(世界ランキング4位)が、スロベニア(同7位)にストレート勝ちし、2大会連続の五輪出場を決めた。セットカウント3-0勝利のみがこの日の切符獲得条件だったが、その大一番で一気につかんだ。本番1年前の出場権は92年バルセロナ五輪以来、32年ぶり。キャプテンの石川祐希(27=ミラノ)がチームトップの15得点をマーク。第2戦エジプト戦での敗戦を糧に成長を遂げた日本が、その「強さ」を証明した。

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石川の中大時代の監督、松永理生氏(41=現京都・東山高監督)は「あんな選手は初めてだった」と当時を振り返る。自身もVリーグのパナソニック、豊田合成(現名古屋)で8年間プレーし、日本代表にも選出された経歴を持つが「経験値の中で想像しうることを体現できる子で、教えることがプレッシャーだった」と包み隠さずに明かす。初めて見たのは中3の時。合同練習で、大学生相手にスパイクを連続で決める姿に驚かされた。愛知・星城高では2年連続高校3冠を達成。ラブコールを送り続け、中大入りが実現した。

入学したばかりの頃の言葉が、今でも印象に残っている。「最初に言ってきたんです。『技術は極めなきゃ楽しめない。極めるから試合でも楽しい』って。すごい向上心だなと」。大学レベルで持て余していい選手ではないと直感。1年の8月に世界最高峰のイタリアリーグへ送り出したが、それは自身の代表経験に基づいていた。「日本代表として海外選手と戦ってると、負けが込んでくることが多い。そうなると、海外選手の方が自分よりも上だと思い込んでしまうケースがある。でも、常に同じ土俵で戦っていたら海外選手のプレーが当たり前になるじゃないですか」。何より、石川なら世界で戦えるという期待感が強かった。

その思いが確信に変わった出来事があった。石川がイタリアで最初に所属したモデナ時代。チームにはブラジル代表セッターのブルーノ、フランス代表のヌガペトら世界トップレベルの選手たちがいた。イタリアへ視察に訪れた際、石川が笑って教えてくれた。「トップの選手たちも練習中にサボってるんですよ」。スタープレーヤーの中でも動じない適応力に感嘆したと同時に「もう彼らと目線が合っているなって思いましたね」と心強く感じた。

期待通り、今や日の丸の絶対的エースを担うまでになったが、技術面以上に成長を感じるのは精神面。かつては「おとなしくて恥ずかしがり屋」だった男が「キャプテンシーが表に出るようになった。『俺について来い』っていうのも出せている。大学の4年間から比べたらすごい成長速度ですよ」と目を細める。それでも、まだ「てっぺんではない」という。松永氏の目には、パリの表彰台でメダルを掲げる教え子の姿が見えている。【勝部晃多】

◆パリ五輪出場権 パリ五輪出場枠は開催国フランスを含む12。五輪予選のW杯バレーは、世界ランキング上位24カ国が8カ国ずつ3組に分かれ、総当たりで対戦。ブラジル(プールA)、日本(同B)、中国(同C)で開催され、各組上位2カ国の計6カ国が出場権を得る。プールBの日本は、この日セルビアを下した米国とともに、8日の最終戦を待たずに上位2位以内を確定させた。

残る5枠は、来年のネーションズリーグ(VNL)予選ラウンド終了時(6月)の世界ランキングで決定する。