「ブライトンの奇跡」と呼ばれる南アフリカ撃破で脚光を浴びた15年W杯イングランド大会。退任して日本を離れる日、空港でジョーンズ監督は言い残した。「キープ・ラーニング(学び続けろ)。日本ラグビーの発展は、終わりのない使命だ」。自身は日系米国人の母を持つ。妻も日本人。桜の国のラグビーの今後にも、心を寄せていた。

貪欲に学び、研究する。日本への提言は、自身の生きざまだった。奇跡を起こす前年の14年には、サッカー界の名将「ペップ」グアルディオラ監督を訪ね、練習法や戦術を語り合った。「サッカーとラグビーはどちらもスペースでボールを動かしていく競技。彼が指導している(当時監督だった)Bミュンヘンやバルセロナは、ボールを動かすという面で素晴らしい」。自身も掲げていたボールを保持して動かすラグビーを成熟させるため、競技を超えて知見を求めた。

目的達成のためには徹底的な男。練習中に選手の緩みを見つければ「お前はW杯で、親族や国民の前で失態をさらす」と言葉を突き刺し、容赦なく練習から外した。スタッフには深夜でもかまわず呼び出しがかかる。毎朝5時には何通ものメールが届いている。ストイックすぎる指揮官のもと、ある関係者は「いつ寝ているのか。まったく同じ生活をしていたら、こちらがもたない」と悲鳴を上げた。

15年には母国オーストラリアの父を亡くしたが、日本の代表戦を指揮するため、立ち会うこともしなかった。無限の献身を求めるボスとして、果たすべき職責をまっとうしようとする。どこか、日本人以上に日本人らしい男が帰ってきた。超長期間の合宿と1日4度の猛練習で根本からたたき直した15年の挑戦から、まもなく約9年。強豪国に勝つことが「奇跡」だった日本を、世界の中堅国まで押し上げた当時の指導法とは変化するかもしれない。進化を続ける日本ラグビーとともに今度はどんな軌跡を残すのか、想像もつかない。【15年ラグビーW杯担当=岡崎悠利】