<2004年8月15日付日刊スポーツ紙面から>

 柔道女子48キロ級の谷亮子(28=トヨタ自動車)が決勝で宿敵ジョシネ(フランス)に優勢勝ちし、日本女子初の五輪2大会連続金メダルを獲得した。1カ月前に左足首を故障した影響で調整遅れが懸念されたが、4試合中3試合が1本勝ち。野球の練習から駆けつけた全日本の谷佳知の応援もあり、完ぺきな内容でミセスとして世界初戦を飾った。また男子60キロでは野村忠宏(29=ミキハウス)がアジア初の3連覇を飾り、日本の夏季五輪100個目の金メダルとなった。

 強い。谷亮子でも金。有言実行した女王は、スタンドの夫に向かって両手でガッツポーズを見せ、顔を覆った。「たくさんの人が亮子って呼んでくれて、パッと見たら主人が泣いていた」と喜びの瞬間を振り返った。

 「シドニーより何倍もうれしい。谷亮子として五輪チャンピオンになれたことがうれしい。言葉にならない」。日本では達成されていなかった女性として2度目の五輪金メダル。結婚して弱くなったと言われないために、新たな技を次々に会得して夫の理解に報いた。「あらゆる面で応援してもらっているから」。柔道に専念できる環境を与えてくれた夫に感謝した。

 準決勝までオール1本勝ち。1度技に入るとしつこく掛け続け、次々に相手の背中をつかせた。決勝は昨年の世界選手権決勝で対戦したジョシネとの再戦。前回は指導1つの差で下したが、今回は攻めまくって圧倒した。残り14秒、大内刈りで奪った技ありが決め手になった。危ないシーンは1度もなく、すべての面でこれまでの世界大会を上回った。「田村亮子と谷亮子。五輪に2つの名前を残せて感動した」。練習パートナーの原久美子さんと抱き合うと、うれし涙がこぼれた。

 大会直前の7月12日に左足首を痛めた。全治1カ月以上の重傷。内出血による腫れで3週間も柔道ができず、本格的な練習はわずか1週間だけ。数々の試練を乗り越えた谷でも、さすがに厳しいかと思われた。全日本の吉村和郎監督が、最悪の事態も考えたほどだった。

 「7歳からやってきた貯金がある」。谷の究極のプラス思考で患部は驚異の回復を見せた。「足は7割ぐらい。痛くても足が使えなくなっても、絶対に戦い抜く。強い気持ちで畳に上がった」。大会前になると必ずといっていいほど故障のアクシデントがつきまとう。01年ミュンヘン世界選手権も右ひざ側副じん帯損傷を克服して奇跡のV5を達成。ケガに強いYAWARA伝説は生きていた。

 帯には7つの数字が刺しゅうされている。93、95、97、99、00、01、03。五輪と世界選手権を制した年だ。次は「04」が加わる。そして05年カイロの世界選手権を目指す。

 柔道に対する姿勢に、吉村監督は感服する。「あいつは勝つことに対する執念が強い。代表7人全員がそれをもっていれば、全階級金メダルを取れる。あいつは幸せにどっぷりつかるタイプじゃない。どこかに柔道の部分を残している。何でも力にするやつだ」。男女合計5個以上の金を目標にする柔道は、幸先のいいスタート。谷が後続を勇気づけた。【岡山俊明】

 ★谷の主な記録

 ◆日本女子初の連覇

 日本女子の金メダルは通算10個目(夏季9個、冬季1個)だが連覇は史上初。

 ◆女子柔道初の連覇

 92年バルセロナ大会から始まった女子柔道では過去7人の外国選手が連覇に挑戦したが、結果は銀1、銅2だった。

 ◆女子個人で最年長金メダル

 日本の女子ではバレーボールで64年東京大会の河西昌枝(31歳2カ月)、76年モントリオール大会の飯田高子(30歳5カ月)が30代で優勝しているが、谷の28歳11カ月は00年シドニー大会女子マラソンの高橋尚子(28歳4カ月)を上回る個人種目最年長。

 ◆ミセス初の金

 既婚者で五輪に出場した主な選手には64年東京大会の小野清子(体操団体で銅)、00年シドニー大会の楢崎教子(柔道52キロ級で銀)らがいるが、金メダルは谷が初めて。

 ◆日本人選手の4大会連続メダル

 これまで日本人選手の五輪連続メダルは冬季も含めて3大会連続が最高。谷が初めて4大会続けて表彰台に上がった。