神戸製鋼がトップリーグ(TL)は創設元年の03年度以来15季ぶり、日本選手権としてはサントリーと同点優勝だった00年度以来18大会ぶりの優勝を果たした。

開始からサントリーを圧倒。前半を22-5で折り返すと、後半はワンサイド。終了間際もだめ押しのトライを決め、50点差をつけた。大差がついても最後まで全力を尽くした。

試合後、ディロンヘッドコーチは「最初から素晴らしいパフォーマンス。0分から80分までよく戦ってくれた。平尾さんを含め、会社の歴史を理解して戦った」と感慨深げに話した。

神戸製鋼が8トライの一方で、サントリーは1トライに終わった。

元ニュージーランド代表で元オールブラックス(ABs)のSOダン・カーター(36)は「スペシャルなチーム。強みのタックルが機能した。強いサントリーに1トライの5点しか取らせていない。ディフェンスも良かった」と勝因を分析した。

「新たな考え」と「歴史の継承」を融合させ、低迷期を乗り越えた。今季、チームにもたらされたのは、王国ニュージーランドのスタイル。同国代表ABsのアシスタントコーチとして11年、15年のW杯連覇に導いたウェイン・スミス氏を総監督に招くと、世界最優秀選手に3度輝いた実績を持つカーターも神戸のジャージーを着た。

スミス総監督はオファー受諾前、神戸製鋼関係者に「スタイルを変える意思はあるか?」と尋ねた。方向性をすりあわせる必要があった。

スミス総監督 神戸製鋼は正直キックが多く、セットプレーがベースのチームだった。モールを組んで、ペナルティーを取って、セットプレー…。自分たちでプレーを楽しむ要素を忘れてはいけない。それは、自分たちがボールを手で持ってプレーをすること。そこを忘れてはいけなかった。

そこには、かつての神戸製鋼のラグビーに通じる考えがあった。94年度まで平尾誠二(故人)らを擁し、新日鉄釜石に並ぶ日本選手権7連覇。激しいタックルなど泥臭いプレーをベースにしながら、スペースにボールを運ぶ展開ラグビーで一世を風靡(ふうび)した。平尾さんとも親交があったスミス総監督は言う。

「自分が80年代後半にワールドとの関わりで日本に来たとき、最新のスタイルでプレーしていた。自分たちで仕掛けていく、というね」

そして続けた。

「自分たちのためにプレーするのはもちろんだが、会社のためにプレーする部分もある。その上で、平尾さんのためにプレーするのも大きな意味の1つ。自分たちはレガシー、歴史を刻んでいきたい」

16年10月20日、平尾さんは胆管細胞がんにより、53歳という若さでこの世を去った。誰よりも神戸製鋼の復活を願っていた功労者に、ささげた優勝。世界屈指のスターであるカーターも、神戸での学びを語る。

「(神戸製鋼が)一番すごいなと思うのは、みんながハードワークするところ。チームのためだけでなく、会社のためにもやる。チームで家族として頑張って、その後に働きに行く。ラグビーや仕事への取り組み方は、僕が得た一番大きなもの」

新たなスタイルと、歴史の継承。その融合が大願成就につながった。