神戸製鋼が完全復活を遂げた。3季連続2冠を狙ったサントリーに55-5で大勝。トップリーグ(TL)は創設元年の03年度以来15季ぶり2度目の制覇、日本選手権の優勝は18大会ぶり10度目で最多優勝記録を更新した。この試合も8トライを奪うなど攻撃ラグビーで今季唯一の無敗で頂点に返り咲いた。かつて日本選手権7連覇の中心選手として躍動した平尾誠二さんが16年10月20日、胆管細胞がんにより53歳で他界。生前の約束だった「優勝」をようやく果たした。
試合終了の笛を合図に、神戸製鋼の赤の戦士が次々と抱き合った。ゲーム主将を務めたフランカー橋本大が「どう表現したらいいか、分からない。感無量。気持ちの面で相手を圧倒できた」と低迷期を思い返す。15年ワールドカップで南アフリカから世紀の番狂わせを演じた入社11年目、プロップ山下裕は喜びの度合いを少し悩んで比較し「神戸(の方が上)ですかね」と笑った。
王者を気持ちで圧倒した。前半3分、ゴール前でWTBアンダーソンが相手防御を突き抜けて先制トライ。同13分までに12点をリードし、反撃に出る相手の膝元に何度もタックルを浴びせた。橋本大は「日本一のアタックと防御。神戸製鋼のラグビーを体現できた」。表彰式では2年前に53歳の若さで他界した「ミスターラグビー」平尾誠二さんの遺影を掲げ、かつての定位置だった頂点に戻った。
誰よりも神戸製鋼の勝利にこだわったのが、生前の平尾さんだった。総監督やゼネラルマネジャー(GM)時代、いつも神戸市内の練習場では客席中央の最上段に腰を掛け、じっと選手の動きを追った。闘病中も映像で試合や練習をチェックし、現場への助言を欠かさなかった。一方、人前では負けた悔しさを見せることはしなかった。「ちょっと飯行こうか」。ある試合後にはスタッフを誘って車に乗り込むと、食事どころか道に停車させ「勝てへんな…」と4時間も語り合ったことがある。
日本選手権7連覇を達成した2日後の95年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。翌シーズンに連覇は止まり、新人の採用も激減した。そのひずみは00年代後半からの低迷につながり、近年は関東の有力な大学生選手に「神戸は…。彼女が関東にいるので」と断られるほど、ブランドも落ちた。
それでも意地はあった。平尾さんが亡くなる16年度まで、歴代最長5季連続主将を務めた橋本大は「主将が終わってからは平尾さんのためにラグビーを続けているところがある」。恩人の死去後、初のタイトル獲得に「亡くなる前に約束した。これ以上ないぐらいうれしい」と胸を張った。
一時代を築いた神戸製鋼の華麗なラグビーの裏には、必ず泥臭いプレーがあった。低く、鋭く相手に突き刺さり、全員が気持ちを1つに戦う。平成最後の冬、悔しさにまみれた男たちがよみがえった。【松本航】